様々なスモールグループ。うまく行かない理由とうまく行くやり方

戦後、いくつかの小集団活動が海外から入ってきました。
しかし、それらは皆うまく行っていないようです。
なぜでしょうか?どうしたら人々が集まる小集団活動が出来るのでしょうか?
ありのパパの考えをご説明します。

1.様々な小集団活動

戦後一番はじめに日本に入ってきたのは家庭聖書研究会でした。
次に大分遅れて区域礼拝がペンテコステ教会を通して韓国から伝えられました。
その次に聖霊第三の波に乗る教会から細胞グループ教会が伝えられ、これは福音派教会に広く受け入れられました。
細胞グループ教会は今ではセルチャーチと呼ばれています。

しかし残念ながら、これらはみなうまくいかなかったようです。
ありのパパも区域の立ち上げに参加したことがあるのですが、初回のときの参加人数が最も多く、後は徐々に人数が減っていくのです。
それはまるで消滅へのカウントダウンを見ているような感じでした。

2.小集団活動がうまく行かない理由

①教会堂で行われる礼拝と全く同じプログラムを用いている

もう一つ別の同じ内容の礼拝に参加しなければならない理由などはどこにもありません。
日曜礼拝だけで十分と考えるのは至極当然です。
これが週半ばの集会に人が集まらない理由でもあると思います。

②リラックスした雰囲気というだけでは人は集まらない

家庭集会では肩肘張らず世間話ができるではないかと言う声もあります。
しかし考えてほしいのですが、この忙しい時代にあって一体どこのだれが世間話をするために集まると言うのでしょうか?
専業主婦か定年退職者しか見当たりません。

③本音が言えない集まりには人は来ない

自己開示できず相変わらず仮面をつけたままなので、それならばこんな集まりは出ない方がましだとなります。
そのことを他の教会員に言おうものなら、間髪(かんぱつ)入れずに「本音を言えばいいじゃない」とか簡単に言われてしまい黙るほかはなくなってしまいます。

3.どうしたら人が集まる小集団活動が可能か?

ありのパパはこれをAA(アルコール依存症者の自助グループ)から学びました。

①参加資格をはっきりさせる

AAの場合ですと、
a.自分の力ではアル中から解放されないことを認め、
b.神様にならこんな自分を救うことができると信じ、
c.自分の人生を神に委ねることを決心した人となります。

これを教会に応用しますと、
a.罪に対して無力であることを認め、
b.こんな自分であっても神様なら救ってくださると信じ、
c.自分の人生を神に委ねる決心をした人となります。

あなたは言うかもしれません。
「こんな人、どこにおるねん!」
案外教会の中で立派なふりをしている人よりも「あの人、何とかならないかしら。教会の恥だわ」なんて婦人会に噂(うわさ)されているような人の中におられるかもしれません。
ちょうどAAがアル中の中に隠されていた宝物であったように。

②言いっぱなし。聴きっぱなし。他言無用

これが会の運営の基本原則となります。
人が余計な介入をやめるとき、御霊である神が、静かに、そして確実に、一人びとりの心に働いて人生を改変してくださるのです。

③すべての参加者が必ず話す

ただしこれは必ず自己開示せよということではありません。
「私はまだ自己開示する気になれません」と話すだけでも良いのです。

ありのパパがあるところでカウンセリングの勉強会をしたことがあります。
そのとき「必ず皆さんに当てますからご安心ください。必ずすべての方に発表の機会がありますから」と言ってから勉強会を始めました。
そのときの熱気といったら物凄かったです。
まるでここはアメリカの学校か!と感じたほどでした。

そこに参加した人すべてが主役であることを認識するとき、その会は盛り上がります。
逆に自分はただのお客さんでしかないと感じさせてしまうとき、人々はもっと魅力的な場所に行ってしまうでしょう。

◎平安と祝福を祈っています。

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