カリスマ運動とペンテコステ派と聖霊第三の波の教会がリバイバル同盟を設立しました。
しかし、この団体は開店休業状態です。
原因を推測すると聖書感の違いが挙げられるようです。
この問題を考えます。
1.リバイバル同盟のこと
当初はペンテコステ教会や聖霊第三の波の教会は聖書観の問題については髙(たか)を括(くく)っていたようです。
聖霊の主権とお働きを認め尊重するという一点で一致できれば問題ないと考えていたのですが、いざ一つの団体をつくって運営してみると、互いの違いばかりが目につくようになります。
ペンテコステ教会や聖霊第三の波の教会は、自分たちが当たり前のこととしている聖書信仰をカリスマ運動の教会も受け入れてくれるだろうと根拠のない期待をしていました。
なぜならカリスマ運動はリベラル派教会が聖霊に触れられて聖書信仰をもつようになったとばかり思い込んでいたからです。
2.カリスマ運動はリベラル信仰のまま
彼らはリベラル信仰のままで、カリスマ運動を行っていました。
これはペンテコステ教会や聖霊第三の波の教会にとっては許しがたいことでした。
でもよく考えてみると、許しがたいと思う方がおかしいのです。
日本のカリスマ運動の指導者は次のような声明文を出しました。
「私たちは日本基督教団でカリスマであるということで差別を受けてきた。それが同じ聖霊派の団体をつくって中に入ってみれば今度はリベラルということで差別を受けている。私たちは二度と謂(いわ)れの無い差別を受けたくはない」
これは道理に適ったものです。そのように仰ることも理解することができます。
3.行き当たりばったりの結果
イエスは「あなたがたのやることがうまくいくかどうかよく考えてから、それから着手しなさい」と言われました。
そうしないと途中で中断せざるを得なくなり、恥を見るからです。
勢いだけで物事を判断してはなりません。
そうしないとこのような結果になります。
4.神学と信仰とはどのような関係にあるのか?
神学は単純・素朴の信仰を厳密な思考によって支えるためにあります。
故に、そもそも単純・素朴の信仰がないなら、聖書観を論じる意味はありません。
イエスを信じるといっても、実際にはそれは聖書を通じてなされるのですから、聖書そのものに疑義をもっているなら、その聖書が証するイエスを信じることは出来ない相談ということになります。
故に信仰の前提であり、神学の基礎となるのが聖書観なのです。
a.聖書自身が霊感によって書かれたことを明確に証している。
「聖書はすべて神の霊感によるもので」(Ⅱテモテ3:16)
b.イエスご自身も逐語霊感説に立っている。
「まことにあなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の一点一画でも決してすたれることはありません」(マタイ5:18)
c.歴史も聖書の預言がみな成就することの証人である
「全部が成就されます」(マタイ5:18)
キリスト教信仰は聖書信仰に立たない限り、そもそも成立し得ないし、また存続も不可能な信仰です。
その意味で、聖書観のちがう者同士が団体を設立したのは明らかに誤りでした。
◎平安と祝福を祈っています。
