「この言葉を聞くと、ヨセフは泣いた」(創世記50章17節)
[今日の聖書箇所のあらまし]
少年期に兄たちによって奴隷商人に売り飛ばされ、様々な艱難辛苦の道を通りながら、ヨセフはついにエジプトの首相(あるいは総務長官)の地位にまで登りつめます。
エジプトの総理大臣が自分たちが悪さをした弟であるとは知らず、食料をエジプトに買いに来た兄たちが「私たちがこんな目にあっているのは、私たちが弟のヨセフに行った悪行のためだ」と話しているのを聞いて、ヨセフは男泣きに泣いたのでした。
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1.赦しには感情が伴う
ヨセフが兄たちに対して「私はあなたがたをゆるします」と言う前に、兄たちの懺悔を聞いて号泣するという体験がありました。
赦しは理性的なものであるばかりでなく、感情の問題でもあります。
感情が少しも動かないなら、それはまだ赦す時期が到来していないことを示しています。
そうであるにもかかわらず、義務感から「赦します」と宣言してしまうと、困ったことになります。
未処理の感情が抑圧され、抑圧された感情は様々なトラブルを誘発するようになります。
ですから、かさぶたが自然に取れるようになるまでは放っておくように、ゆるしもまたそのようにすべきものです。
必ず「ゆるさないでおくことは面倒くさくて仕方ない」と感じるときがやってきます。
その時になってはじめて、ゆるすべきかを考慮すればよいのです。
2.二種類のゆるし、許しと赦し
赦しとは存在に対するものであり、許しとは行為に対するものです。
ヨセフは「兄さんたちは私に対して悪いことをしました」と述べており、あったことを無かったことにはしていません。
そうです。無かったことには出来ないし、またそうする必要もありません。
よく「水に流す」と言われますが、これは寝言に過ぎません。
水に流すなど、人にできることではないし、またそうする必要もないのです。
人にできることは、あったことはどこまでもあったこととし、その上でゆるすかどうかを考慮することです。
3.神は悪いことを良いことのために用いられる
神は悪いことを善いことのために用いてくださいます。
まさにヨセフの経験がそのようなものでした。
しかし、これはヨセフだけの経験でなく、私たちにとっての経験でもあるのです。
アダルトチルドレンになったことも、神は善いことのために用いてくださるのです。
依存症になったことをも、神は善いことのために用いてくださいます。
だから、それを信じて泣き言を言うのをやめようではありませんか。
現実の生活から一歩退き、神のご計画を仰ぎ見る時、人のすべての考えにまさる神の平安が心を満たすようになります。
ですから私たちは泣き言を言う代わりに、希望の言葉を語りましょう。
4.ヨセフ物語はキリストの雛形(ひながた)
ヨセフの兄たちはヨセフに悪いことをしました。
しかし神はそれを用いてイスラエル人を救いました。
同様にキリストもイスラエル人の陰謀により十字架につけられました。
しかし神はそれを用いて人類の救いを完成してくださいました。
そのようなわけで、今はどなたであっても、自分の無力を認め、キリストは私の罪のために十字架に掛かって死んでくださったと信じる者は救われることが出来るのです。
◎平安と祝福を祈っています。
