12ステップは今やアルコールや薬物以外の依存症からの回復プログラムとしても採用されています。
では物質依存以外の依存症者は12ステップに取り組むときにどんな点に気をつければよいのでしょうか?
1.12ステップが効果があるのは依存症だけ
12ステップは依存症からの回復プログラムであり、依存症以外には効果がありません。
例えばありのパパは怒りの爆発を【嗜癖として使っている】と捉えたときから回復が始まりました。
かつて精神疾患を患ったご自分の兄弟を自助グループに連れてこようとした仲間がおられました。
ご自分は怒りの爆発という問題を抱えて自助グループにやって来てそれなりの助けを得ることができたので「病気の家族も是非!」という発想になったようです。
ここで問題になるのは精神疾患に12ステップは効果があるかということです。
残念ながらプログラムが効果があるのは依存症に対してであり、それ以外には効果が認められていません。(ではなぜアダルトチルドレンや共依存症に効くのかと言えば、この二つが依存症であるからにほかなりません)
しかし例えばアルコール依存症と双極性障害などの精神疾患の両方をもっている場合はアルコール依存症からの回復に12ステップは効果があり、そしてアルコール依存症から回復すると精神疾患にも善い効果があるというのは医学的にも認められたことです。
では依存症を持たず、精神疾患だけの人の場合はどうでしょうか?
そもそもその方は12ステップミーティングに参加しようとは考えないのではないでしょうか?
それでも時々やってくる人がいるのは、その背後に「連れてくる人」がいるからです。
前述のようにご家族に連れてこられる場合や、中にはヘルパーさんに連れられてやってきた方もいました。
その方は断り切れずに不本意ながらやって来たという感じがありありでした。
今や多くの人々がご自分が抱える問題の解決と心の平安を求めて相互支援グループにやって来る時代になりました。
しかしその方々に申し上げたいことは「ここは依存症からの回復を目指す12ステップミーティングであって、単なるグループセラピーの場ではない」ということです。
もちろんそんなことは言われなくても数回通えば薄々感じるのでしばらくすると姿を見せなくなります。
問題はご自分の抱える問題が依存症であるとの自覚がないまま何年も自助グループに通われている人々です。
ありのパパからすると「へびのなまごろし」ではないかと感じるのです。
しかしこれはご本人がお決めになればよいことです。
しかし気づきさえすれば前に進めるのに気づく機会がなく、同じ場所にとどまっているならばこれは残念なことであると言わなければなりません。
2.依存症というからには自分が嗜癖を使っているのを認める必要がある
①感情面での問題を嗜癖として使う依存症者
まず自分が何を嗜癖として使っているのかを明確化するのが大切です。
単に「よくなりたい」というのでは全く不十分です。
EAや共依存の自助グループのミーティングでは「〜から良くなりたい○○です」のような自己紹介がよくされます。
しかし漠然と「良くなりたい」というだけでは決して回復することはできません。
依存症からの回復グループのミーティングに参加しているのですから、「自分が使っている嗜癖は何か?」を明らかにするのが何を置いても必要なことです。
しかしながら感情の問題を抱えた人々の中にはご自分が【感情面での問題を嗜癖として使っている】ことに気づいていない人が多いと感じます。
気づいていないとはどういうことかと言えば、怒りを爆発させることを問題とは認識しているが、だからと言って怒りの爆発を【嗜癖として】使っているとは思っていないということです。
確かに子供時代の生育歴やトラウマ体験と呼ばれるものが原因で「怒りがどうしようもなく沸々(ふつふつ)と湧いてくる」ということがあります。
しかしその場合であっても、嗜癖として使っているという事実のみに焦点を当てると心の中で【嗜癖として使うか、使わないか】との二者択一の選択肢が生まれます。
もちろん自力では実践できませんから、神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求める営みを通して感情面でのシラフを継続します。
ちなみにありのパパは怒りの爆発を【嗜癖として使っている】と気づいた時から回復が始まりました。
話は変わりますが、アルコールや薬物・ギャンブルなどの依存症者の中にも【感情面での問題を嗜癖として使う】仲間が多くおられると感じます。
②【病的な支配欲求】を嗜癖として使う依存症者
自助グループなどで議論になった際に、相手を黙ってにらみつけるなどの光景は当たり前によく見ます。
これはお腹の中で「あなたは黙って私の言うことを聞けばよい」と思っているにもかかわらず相手が従わないので「なんで?おかしいじゃないの?」と感じ、「そうか、分かった。この人が私に従わないのは私を馬鹿にしているからに違いない」というとんでも勘違いをしているからにほかなりません。
本人は「バカにした相手を私がにらんで何が悪い」と思っており、被害者意識で一杯であり「にらむ私は全く正当である」と感じているのです。
病的な支配欲求を【嗜癖として使っている】と気づかない限り、その人はアルコールや薬物からはシラフでいられるかもしれませんが、依然として【病的な人間関係を嗜癖として使う依存症者】のままです。
ここらへんに12ステップに取り組んでも人生が思ったように変わったと感じられない本当の理由があるのではないでしょうか?
3.治らないが回復は可能
①「依存症は治らない病気。しかし回復は可能」を理解する
依存症者がスリップするたびに嘆くのはなぜでしょうか?
「嘆いてはいけないの?」という声が聞こえてきますが、その方々にお尋ねしたいことがあります。
それは「100%失敗すると分かっていて失敗した場合にその人は失望するだろうか?」ということです。
失望するのは心の中で「もう少し何とかなると思ったんだがなぁ〜」と考えているからです。
無力を認めるとは『何ともならない』のを認めることです。
「治らない」と真に理解できていればたとえスリップしたとしても動揺することはありません。
「それがどうした!」ってなもんです(笑)。
失望する人は【無力】を主観的に捉えすぎているのかもしれません。
客観的理解によって主観的理解を補強することが大切です。
客観的理解とは
- 脳の報酬系に依存症回路ができてしまうと、そこから強迫観念と渇望現象が発せられる。
- 一旦出来た依存症回路は死ぬまでなくなることはない。
「だから無力なんだな」という理解にもとづいた納得が大切です。
この理解が腹落ちすると「だからこそ霊的目覚めを得ることが本質的な解決策であり、共同体から助けを得ることが重要なのだ」ということが真に理解できるようになります。
②心の焦点を《性格上の欠点からくる行動パターンを使わない》というところに当てる
本質的な解決策と呼ばれる【霊的目覚め】は回復するのに充分な人格的変化であると言われます。
人格的変化とはまず【視点の転換】が起こり、続いて【行動パターンの変化】が起こるものです。
そして一新された行動パターンだけを使い続けていると段々と【感じ方】と【考え方】が変化していきます。
通常、視点の転換と行動の仕方の変化は短期間のうちに、そして感じ方と考え方は長期間の営みを通して変えられていきます。
かつて、ミーティングの会場が開かれる前に到着した仲間に挨拶しようとしたのですが、その人が知らん顔をしたのでありのパパも知らん顔をしたということがありました。
まずその仲間が知らん顔をした理由ですが、本当のところは聞いてみないと分かりません(聞いても本人も本当の理由を知らないかもしれません)。
私たちの心の奥底には「この人は私を傷つけるかな?それとも愛してくれるかな?」という相手を値踏みする眼差しがあります。
これを【固着した恐れ】と言い、リカバリー・ダイナミクスの棚卸し表の第四列の三番目にある[身勝手&恐れ]の恐れに当たるものです。
話をもとに戻すとその人は「相手の出方(でかた)待ち」が行動パターンになっているのです。
この行動パターンを使う人々は必ず傷つかざるを得ません。
なぜなら「この人は私を傷つけるかな?」との怯えた眼差しで見つめられたら多くの人は怒り出すからです。
なぜでしょうか?
それは相手を疑っているからこそ「この人は私を傷つけるかな?」と考えることが出来るからです。
疑われて「疑ってくれてありがとう」などと言う人は一人もいません。
だから私たちは相手がどうかではなく、自分が相手に敬意をもって接することに全力を尽くすことです。
そうしたら必ず人間関係は劇的に好転します。
なぜなら相手は「この人は私を疑ってない」との非言語的メッセージを受け取るからです。
「本当ですか?口からでまかせを言っているのではないのですか?」と思われるかもしれません。
しかしこれはカウンセリング的にも説明のつくことですし、何よりありのパパ自身が実践して劇的に効果のあったことです。
目が合っているのに挨拶しない相手を見て、自分も挨拶しなかったありのパパの心の中にも「固着した恐れ」がありました。
この場合には「私を馬鹿にしているから無礼な態度を取れるのだ。このような人にはこちらから関係を切り捨てよう」という恐れが動機の身勝手行動と、「まずそちらから挨拶するのが当然である」という利己的極まりない考えが原因でした。
それまでは「こんなに気を使って生きているのになぜ自分にばかり人間関係のトラブルが起きるのだろうか?」と訝(いぶか)しんでいたのです。
原因が分かってみれば「すべては自作自演の一人芝居」に過ぎませんでした。
しかし新しい行動パターンだけを使い続けた結果、人間関係のトラブルが激減しました。
多くの方が「どうしたら新しい行動パターンを使うことが出来ますか?」とお尋ねになります。
秘訣は
- 依存症の構造がよく見えていること。言い換えると「回復の設計図」がよく理解できており、それが理解にとどまらず腹落ちして体感的理解になっていること。即ちこれを指して【霊的目覚め】と呼びます。
- そもそも自力での実践は不可能です。祈りと黙想を通して自分なりに理解した神との意識的触れ合いを深め、神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求める必要があります。
- 失敗しても気に病まないことです。「よ〜し次はうまくやるぞ!」と考えるようにします。
【まとめ】
- 感情面での問題や病的な支配欲求を嗜癖として使う人々が12ステップに取り組む時にはいくつかの注意点があります。
- 12ステッププログラムが効果があるのは依存症だけ。だから回復したいと願うならご自分が「何を嗜癖として使っているか?」をはっきりさせることが大事です。
- 感情面での問題、例えば怒りの爆発を嗜癖として使う人々の中には原因として生育歴やトラウマ体験を上げる人もおりますが、それは間違った理解ではありません。しかしその人々が「今ここ」で怒りの爆発を使っているのは《嗜癖として》使っているのです。
- アルコールや薬物などの物質依存、ギャンブルなどの行為依存などから回復しても「自分の人生は全く変わってしまった」となかなか思えない隠れた理由に【病的なコントロール欲求を嗜癖として使う】があります。手放してあとは神におまかせというスローガンがありますが、もし手放すことが出来るならその人は無力ではありえません。手放すことが出来ないからこそ無力なのです。
- 「依存症は治らない病気。しかし回復は可能」という教えは科学的根拠のある主張です。しかし「あぁそうなのね」で終わってしまったら、人生は変わりようがありません。この教えをどのようにご自身の問題に適用するかが真に問われていることです。
◎回復と平安と祝福を祈っています。