アダルトチルドレンは何を無力と認めるかと共依存と万能感に注意!

パニックゾーンにある新しい行動パターン

ACには無力を認める前に気づくべきことがあるとつくづく感じます。
それは弱さを認めるのと無力を認めるのは違うということです。
この記事ではそれに加えてACが棚卸しをする時は共依存と万能感に注意すべきであると解説しています。

        

1.アダルトチルドレンにはステップ1で無力を認める前に気づくべきことがある

アダルトチルドレンや共依存症者はステップ1で無力を認める前に気づかなければならないことがあるとつくづく感じます。

それは「私は病的な人間関係を嗜癖として使っている」と気づくことです。
この気づきがない限り、プログラムに取り組んでも空回りし続けます。

ある人々は機能不全家族で育った生育歴の癒やしを求めてACの自助グループにやってきます。
しかし多くの場合に求める癒やしは得られません。
理由はそもそも自助グループに行かざるを得なくなった人間関係のトラブルと、機能不全家族で育ったことによる生育歴とは直接的な関係がないからです。

ACが回復するためには、なぜ自分にばかり人間関係のトラブルが起きるのか、その原因は他でもないご自分が病的な人間関係を《嗜癖として使っている》からだということに気づく必要があります。

多くのACはこの見解に抵抗を示すか、あるいは何を言っているのかさっぱり分からないという顔をします。
これにも理由があり、一つは否認であり、もう一つは被害者意識を嗜癖として使っているので自分自身が問題当事者であるなどとは到底思えないからです。

しかしミーティングにある程度の期間参加し続けると段々と否認が取れてきます。
そして問題当事者であるとの自覚も生まれてきます。

なぜなら《他者に問題があるから自分が苦しんでいる》という理解では「ではなぜ他の人は自分と同じように苦しんでいないのか?」との問いに答えることができないからです。

ACの中にはこの気づきがないまま12ステップに取り組もうとする人がいます。
多くの場合に当然のことながら途中で挫折します。

12ステップはステップ1で無力を認めるところからスタートするように、そもそも無力を認めていなければ取り組むことができないプログラムなのです。

        

2.弱さを認めるのと無力を認めるのは全くちがうこと

ACの人生は『弱さ』に彩(いろど)られています。
だからACにとって弱さを認めるのは難しいことではありません。

しかしながら無力を認めるというのは弱さを認めることではありません。
また、これまでの人生で充分に苦しんできたのを認めることでもありません。

では何を認めるかと言えば【嗜癖を使うことへの無力】です。

弱さを認める 無力を認める
自己認識 私はかわいそう 人生がどうにもならなくなった
原因 周りの人々が悪い。一番悪いのは親 この私が病的な人間関係を嗜癖として使ったから

AAのステップ1には「アルコールに対し無力」とありますが、正確には「アルコールを嗜癖として使うことに対する無力」なのです。

同じようにEAのステップ1には「感情・情緒に対して無力」とありますが、これも正確には「感情・情緒面での問題を嗜癖として使うことに対して無力」なのです。

ではアダルトチルドレンが嗜癖として使うものは何でしょうか?

それはアダルトチルドレンの問題と呼ばれる少なくとも13の問題行動です。

ACの問題行動の本質は【病的な人間関係を嗜癖として使っている】ということです。

アルコール依存症者がアルコールを嗜癖として使うように、アダルトチルドレンは病的な人間関係を嗜癖として使っているのです。
この気づきをもったとき初めてステップ1に取り組むことができます。

アダルトチルドレンの問題行動
アダルトチルドレンが使う病的な人間関係嗜癖の一覧表 1.私たちは人が怖いので人々から孤立することを嗜癖として使…
        

3.アダルトチルドレンの棚卸しで注意すべきこと

①健康的な棚卸しのために共依存関係をバッサリ切る!

他者との境界線がぼやけたままで棚卸しをすると「全部自分が悪い」となってしまいます。

でもこの地上に片方だけが悪いなどということは存在しません。
「あなたにも私にも問題がある」を前提にしつつ、しかし【他者は変えられない。変えられるのは自分だけ】なので自分の問題だけを棚卸しするのです。

中には「相手の問題も棚卸ししたほうがいいのでは?」と考える方もおられるかもしれません。
しかしそのような相手をなんとかしようとする心の有り様はまさに共依存症者がスリップしているのです。

相手の回復を支援することと、相手に対して共依存の状態になるのは全く別であるばかりか、あなたが共依存の状態にあることが相手の回復の妨げになります。

【境界線をしっかりと引く】ということは即ち、共依存の関係を切り捨てるということです。

「私の回復とパートナーや子供の回復は直接の関係はない。私が回復しなくても相手は回復するかもしれないし、反対に私が回復しても相手は回復しないかもしれない」と当たり前のことを当たり前に考えられるようになると、不適切な棚卸しをする危険が少なくなります。

本来、棚卸しすると心が軽くなり、平安に満たされるものです。
あなたの棚卸しはそのようになっておられるでしょうか?

②棚卸ししても[後悔]がなくならない隠れた理由

世の中には諦めの悪い人がいるものです。
もちろん、それは私たち(ACや依存症者)のことにほかなりません。

諦めが悪い理由の一つは万能感が強いからです。
万能感とは「私にやって出来ないことはない」という極めて幼児性の強い考えです。

この万能感が一番強い世代が30代から50代の人々です。
なぜならそれ以前の世代は経験に乏しいため自信がありません。

逆に60代以上の人々は様々なことを経験することによって自分の能力の限界をわきまえ知るようになります。

ちょうどこの中間地帯にいる人々は、そこそこ経験があり、やる気にあふれておりますので心のどこかで「やってやれないことはない!」と考えているのです。

「こうしたら、あぁしたら良かったんじゃないか?」と考える前提には「何とか出来たのではないか?」という間違った思い込みがあります。

しかし「何ともならなかった」というのが真実なのです。
そうであるのに後悔するのは自分自身への【配慮の欠如】にほかなりません。

万能感に支配された考え 12ステップの棚卸しの考え
何とか出来たはずなのにそれをしなかった私は大馬鹿者である 世の中には変えられるものと変えられないものがある
結局何もせず時間を無駄遣いして人生が終わる 変えられないものは受け入れ、変えられるものは埋め合わせする

もう一つの理由は他者に対する【利己的】考えです。

「あの人がもう少し気を利かせてくれていたら、こんなことにはならなかった」なとと考えるのは典型的な利己的考えです。

なぜなら自分が自分自身のために生きており、他者のために生きている訳ではないように、他の人々だって皆その人自身のために生きているのであり、あなたのために生きている訳ではないからです。

そうであるにもかかわらず「あなたは私の期待したように動いて当然である」と考え、そうしてくれなかったからといって相手を恨むなどは途方もない唐変木(とうへんぼく)のこんこんちきなのです。

そしてそのように考えていると安全本能の感情面での安全が傷つきます。
理由は「人々が私の思ったように動いてくれないので私は不安になる」と感じるので、安全本能の感情面での安全が傷つき、恐れの感情が暴走します。

同様に「人が私の思ったように動かないのは私を馬鹿にしているからである」と考える場合は共存本能の自尊心が傷つき、恨みの感情が暴走します。

【まとめ】

  • アダルトチルドレンはステップ1で無力を認める前に自分が【病的な人間関係を嗜癖として使う】依存症者であると気づく必要があります。

  • ACは弱さを認めるのは比較的得意ですが、弱さを認めるのと無力を認めることは違います。弱かったから人生がどうにもならなくなったのではなく、病的な人間関係を嗜癖として使うことに対して無力だったから人生がどうにもならなくなったのです。

  • 共依存があるとACの棚卸しはうまくいきません。なぜなら棚卸しとは自分のことだけを対象にしますが、共依存症は相手と自分の境界線が曖昧な依存症であるために自分のことだけを棚卸しすることが不可能になるためです。

  • 万能感をもっているとやはり棚卸しはうまくいきません。理由は「何とか出来た」との考えは過去を動かすことのできないものと見ていないからです。「どうしようもなかったのだ」と心から考えるようになるまでは棚卸ししても心が軽くなるどころか、ますます自分への不満がたまるばかりでしょう。

AC Skypeミーティングのお誘い
病的な人間関係を嗜癖として使うアダルトチルドレンと共依存症者のためのSkypeミーティングが始まりました。 時…

◎回復と平安と祝福を祈っています。

        

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