ステップ11の祈りと黙想はステップ6・7の新しい行動パターンを実践する際に神の助けを得るための神が備えてくれた道具です。
①祈りと黙想は宗教的行為ではなく、ステップ6・7の延長
祈りと黙想は宗教的行為ではありません。
それどころかステップ4・5で得た新しい行動パターンを実践する上での必須の行為です。
私たちは新しい行動パターンを一つの文章で表すことが出来るものに落とし込みます。たとえばありのパパなら「すべての人に敬意をもって接することに全力を尽くす」です。
しかしながらこの新しい行動の仕方を現実の生活に適用するのはまた別の難しさ・困難さがあります。
現実の世界は秒速で場面が展開しますが、それが変化するごとに自分がどのような対応をすればよいのかは大変な作業です。
もちろん【12の約束】とか【ステップ9の約束】と呼ばれるものの11番目にあるようにこの世界に習熟すると突発的な事態にもどのように対応すればよいかが直感的にわかるようになります。
しかしそれでも生きている限りは「どのように対応すればよいかが分からず途方に暮れる」という事態はなくならないと覚悟しておく必要があります。
ステップ11の祈りと黙想はそのために用意されています。
宗教の祈りと黙想 | ステップ11の祈りと黙想 | |
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目的 | 神の報奨を受ける・問題の解決を求める | 新しい生き方をするために神の意志を知ることとそれを実践する力を求める |
②祈りと黙想は二つで一つであり、分けてはならない
黙想で神の意志を知り、祈りで実践する力を受け取る
黙想を通して神の意志を知り、祈りを通して神の意志を実践する力を求めます。
だから祈りと黙想は別々のものではなく、一つの行為を別の名前で言い表したものです。
仲間が「私は黙想は出来るが、祈りができない」とか「祈りは出来るが、黙想ができない」などというのを聞くことがあります。
しかしそのような訳で祈りと黙想はそもそも一つのものですから、分けて考えるのは正しい理解とは言えません。
黙想 | 黙想することによって神の意志を受け取る |
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祈り | 神の意志を受け取ったら今度はそれを実践するための力を求める |
③ビッグブックの決定的で貴重な提案
a.就寝前の祈り
一日を振り返って「神の意志に反したことはなかったか?」を考えてみる
方法は不快感情が自分の中にないかどうかを確認することから始めます。
なぜなら不快感情なしに生きていくことが私たちにとってのまず第一の神の意志だからです。
次になぜ感情が暴走したのかを考えます。すなわちどの本能が傷ついたかを考えます。
さらになぜ本能が傷ついたのかを考えます。相手は変えられませんから、自分の側の振る舞いだけを考慮の対象にします。
利己的ではなかったか?恐れが動機の不正直行動や身勝手だったのではないか?それらが相まって配慮の欠如が生じてはいなかったか?
これらの日々の棚卸しをすれば最後には「なぁ〜んだ。今回もまた私が原因か!(笑)」と自分を笑うことが出来るようになります。
自分を笑えている状態では不快感情が存在する余地はなく、この状態を心が軽くなったとか、心に葛藤がない状態と言います。
このようにして毎晩眠りにつけるとしたら私たちの人生はなんと幸いなものに変えられたことでしょうか!
日々の棚卸しの時間を決めない人 | 就寝前にやると決めている人 |
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間欠的にやり、いつかやらなくなる恐れがある | 最初こそ努力が必要だが、いつしか努力なしに日常のルーティンとしてやるようになる |
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人生の喜びや平安も間欠的になる | 何か知らないけど平安に包まれ、感謝があふれるようになる |
b.起床時の祈り
朝、目が覚めるとまず自分の前に置かれた24時間を神にささげます。
ささげ方は様々ですが、ある仲間はステップ1から12までを唱えることを通して自分を神にささげています。
ありのパパは目が覚めてもすぐには起き上がらず寝床の中で祈りを通してリカバリーダイナミクスの要点を繰り返します。
「問題は二つあり、強迫観念と渇望現象です。問題の本質はそれらに対して私が無力だということです。解決は自分以外の自分を超えた大きな力であり、解決策二つです。それは〜」てな感じでステップの12までやります。
いつもフルコースをやるわけではありませんが、大体こんな感じで布団の中で自分を整えています。
ここからは余談ですが、起き上がったらすぐにウィンドプレーカーを着て、そのままウォーキングに出掛けます。
なぜなら霊と心と体が整うことが一日を生きる上で大切なことだと考えているからです。
起床してそのまま活動を始める人 | 起床時に必ず祈る人 |
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トラブルに遭遇して右往左往する | あらかじめ祈っているのでどんなトラブルにも限度を超えて心が乱されない |
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失敗しては後悔の繰り返し | 人生がますます良くなるのを実感し、12の約束が実現しているのを感じる |
c.決められないときの祈り
以前は決められないことが出現するたびにジタバタして時間を無駄遣いしていたのですが、現在では今答えが与えられないということは神の意志が示される《神の時》ではないのだと理解しています。
自分が今日祈るべき分を祈っているなら、「今日の分は果たした」と問題を神に委ね、自分自身はリラックスします。
このようにして生き始めたときの変化は驚くべきものでした。
《神の時》が到来すると〈解決〉が向こうからやってくるという感じで労少なくして解決するのを体験するようになりました。
今すぐ解決を求める人 | 《神の時》を待てる人 | |
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心の中・環境 | ジタバタするので心が疲弊し、周りの人を巻き込むので迷惑をかけがち | 多少の不安があっても、日常の生活をこなし、周りの人は本人が問題を抱えていることさえ知らない場合がある |
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やる気エネルギー | 無駄遣いし、やるべきことさえ手がつかない | 効率的に使えているので人生が前進する |
【まとめ】
- ステップ11の祈りと黙想は宗教的行為ではなく、ステップ6・7の新しい行動パターンを現実の生活に実践するための神が備えてくれた道具です。この理解を持たないと新しい行動の仕方がいつまでも身に付かず「思ったようには人生が変わらない」と嘆くようになるかもしれません。
- 宗教者のように祈りと黙想の神学的定義にこだわってはなりません。両者は二つで一つであり、一つのものの異なる側面を表しているのに過ぎません。
- 誰でも始めることが出来るものとしてAAのビッグブックの提案は貴重です。内容は夕べの祈り、朝の祈り、決められないときの祈りとなっています。
◎回復と平安と祝福を祈っています。