聖書に出てくる悪霊付きの記事は心と精神の病を表しています。
果たしてそう言い切る根拠は何でしょうか?
詳しくご説明します。
1.聖書には悪霊付きの記事が多くあるのに現代では悪霊付きを見ることが無い理由
福音書を読んでいて不思議に思うことは、悪霊追い出しに関する記述が煩雑にあることです。
「病気を直していただこうとする人々とともに、悪霊に悩まされていた人たちも治った」[ルカ06:18]
しかし現代では悪霊につかれた人を見ることはありません。
この問題を考える時に大切にしなければならない前提があります。
それは人の心は聖書の時代も、二千年たった今も本質的なところでは変わらないということです。
その前提でものを考えると、二千年前にあったことが現代にないのはおかしいということになります。
そこで、もう一つ考えなければならないことは、私たちの受け取り方が変わってしまっているかも知れないということです。
2.聖書に出てくる悪霊付きの実態は精神の病
福音派とリベラル派は聖書に出てくる悪霊付きを精神病ではないかとします。
ペンテコステ派をはじめとした聖霊運動の教会は、これを文字通り悪霊付きであるとします。
そうするとペンテコステ派は、聖書の時代にはあったのに今はなぜ同じような形で悪霊つきを見ることがないのかについて答えなければなりません。
しかしこれについて納得できるような答えはされていません。
また福音派にもどのような理由で悪霊つきを精神病とするのかについて明確に答える義務があります。
3.悪霊追い出しは心の病の癒しである
聖書は出来る限り文字通りに受け取らなければならないと、ありのパパは考えています。
ですから「聖書が悪霊付きと言うのなら、それは悪霊付きである」と以前は理解しておりました。
しかしそれでは不都合が出てきました。
それは心の病についての聖書の記述がないということです。
人の抱えるすべての問題について聖書は答えをもっているとするなら、現代に生きる人々にとって大きな問題である心の病について聖書が何も語っていないはずはないのです。
それで悪霊追い出しについての個所を読むたびに、精神病の癒しとして理解することが可能かどうかを注意深く確かめました。
そうしたところ、それは可能でした。
いままでは自分には関係がないと思ってきた悪霊追い出しの記事が、心の病に苦しむ人々が解放される記事として心に飛び込んできたのでした。
それで現在はありのパパは悪霊追い出しの記事を心の病の癒しの記事として受け止めています。
4.聖霊派教会の誤った理解と対応
心の病を持った求道者や信徒に対して、悪霊追い出しを行い、症状を悪化させたり、甚だしくは自殺に追い込むようなこともあったようです。
これらのことを考慮するとき、現在の聖霊派に対する逆風は起きるべくして起きたものと言うことが出来ます。
ありのパパの小さな経験から言っても、悪霊付きであると思われていた人で実際そうであった人は一人もいませんでした。
精神病としての治療を施さなければならない人ばかりでした。
ではなぜ精神疾患のある者をいわゆる悪霊付きとしてしまうのでしょうか?
やはり知識不足が一番の原因でしょう。
そうした方が楽と言いますか「病気だと根気良く治療しなければならず負担も大きいが、悪霊付きなら悪霊追い出しの一発で完治する」というような安易な発想が潜んでいると思います。
またそのように宣伝する「癒しの伝道者」も掃いて捨てるほどいますので、「頼ってみようかな」と思ってしまうのも仕方のないことではあります。
5.心の病にも漸進的いやしと瞬間的いやしがある
悪霊追い出しが心の病の癒しを指しているとすると、イエスは即座に精神病を治しておられるから自分たちもそれを期待して良いのではないかという問題が出てきます。
これは体の病がいやされるのと同じ考え方を採用すればよいでしょう。
肉体の病にも即座に癒される場合があれば、二度・三度とイエスの指示に従い、病が癒されたケースがありました。
つばで泥をこね、その泥を目につけて癒されたとするなら、同じようにイエスが指示されるなら、病院に行って、診察を受け、薬を飲むことに何の問題があるでしょうか?
何の問題もありません。
神が私を愛し、かわいそうに思っていてくださることを堅く信じ、祈りのうちに示された導きに従うのみです。
そのとき奇蹟が起き、病は癒されます。
◎平安と祝福を祈っています。
