性依存症などの依存症者は自己に執着してるって?執着を手放す方法!

執着

「依存症者は自己に執着している」と言われて「そうですね」と認める人はいません。
この記事は自己への執着とは古い生き方への執着であることを明らかにし、回復するために古い生き方から解放される方法を解説しています。

1.依存症者の「自己への執着」とは古い生き方への執着を指している

執着

自己への執着とは古い生き方への執着を意味しています。
古い生き方とは本能が傷ついても感情が暴走しても知らん顔する生き方です。
これはやむを得ない面もありました。
なぜなら感情が暴走したり、本能が傷ついた時にどうしたらよいかを誰も教えてくれなかったので対処方法を知らなかったのです。

それで無意識のうちに感情が暴走した時は否認し、本能が傷ついた時は抑圧しました。
これはどちらとも「何もなかった振りをする」という自分自身をトコトン卑(いや)しめる生き方です。

このような生き方をしているかどうかを知るには次の質問を自分にするとよいでしょう。

・あなたは「別に」という言葉を多用していますか?

・あなたは「他の人がそれでいいなら、私もそれで構わない」という言葉をちょくちょく使っていますか?

・あなたはフリーズすることによって自分の感情を感じないようにしていますか?

さて、ご自分が古い生き方に執着していると分かったら、今度は具体的にどんなところで古い生き方をしているかを特定する必要があります。
次の項目ではそれを解説しています。

2.古い生き方に執着すると人生がますます行き詰まる

古い生き方

①他者の欠点ばかりを見るようになる

「性依存症者はみな、他人の欠点、過失、不正ばかりを見ている」(ホワイトブック52頁6行目)

これは自分から進んで見るというよりも、見えて仕方ないという感じです。
本当の原因は自分の性格上の欠点からくる行動パターンにあると薄々気づきながら、それを否認しているので、自分の問題を見ないためには他者の問題を見る必要があるからです。

私たちの肉体の目は二つありますが、心の目は一つしかありません。
それで他者の問題を見ている間は自分の問題を見ないで済みます。
その反対もまた真です。

②他者との人格的な関係を断つ

「私たちはますます他人との関係を遮断し、自己防衛的になり、素直でなくなり、頑なになってゆく」(同8行目)

これは人間関係を断つということとは違います。
そんなことは現代社会にあっては不可能です。
そうではなく人格的関係を持たない人間関係へと変質させるということです。

これは家族関係にも当てはめることができます。
たとえ家族であっても人格的関係がないなら、それは下宿屋と変わりません。

では人格的関係とは何かと言えば、それは相手に敬意をもって接する関係です。
相手に敬意をもって接することに全力を尽くしていれば、かならず人格的関係とは何かを体感し、それが実現するようになります。

③温和なふりをする

「自己への執着は冷静さや温和で親切な感情、あるいは他人に関心のあるふりをし、ウワベを偽装して本当の自分を隠そうとする」(同13行目)

最後の極めつけが「温和なふりをする」ということです。
ニコニコ笑っているのですが、一枚薄皮を剥がすと怒りの感情がふつふつとみなぎっているという感じの人がいます。

なぜこのようなことになるのかと言うと、それは「自己に執着する気持ちが強いほど感情の偽装も大げさになる」(同15行目)からです。

このような生き方を続けると不快感情ダムに不快感情を決壊寸前まで溜めることになります。
しかし私たちはその生き方しか知らなかったので、その生き方にしがみつきました。

3.性依存症などの依存症者が不快感情ダムに不快感情を溜めない方法

新しい行動パターン

「貯水池の堤防に入った裂け目やひびのように、後に不幸を引き起こすたぐいの障害に変わる」(17行目)

問題の解決策はいつだって原因の反対を実行することです。
そのように考えると古い生き方への執着という問題の解決も難しくないことが分かります。

①他者に敬意をもって接することに全力を尽くすことによって人々との間に人格的な関係を持つ

あなたのまわりの人々は機械ではありません。
まわりの人々を機械扱いする人は自分自身を機械扱いする人です。
自分自身を機械扱いするとは自分自身という名の本能が傷ついても知らんぷりをするということです。

どうでしょうか?あなたは「自分自身」を大切にしておられますか?
これは「自分」を大切にするというのとは違います。
自分を大切にするというのは自分を甘やかすということです。
こんなことをしても何にもならないどころか却って事態を悪化させるだけです。

「人格的関係とはどういうことだろうか?」などと難しく考えることなく、単純に「よし、敬意をもって接することに全力を尽くそう!」と決心し実践なさることです。
そうしたら必ず人格的関係とはどういうことかが分かるようになります。

②自分の欠点9割・他人の欠点1割の割合にする

肉体の目は二つあっても心の目は一つしかありません。
だから自分の問題にフォーカスを当てていると、他者の欠点が目につかなくなります。
「いや、どうしても他者の欠点が目に付くんですけど」と言われる方は簡単です。
自分の問題から目を背けているのです。

「他人は変えられない。変えられるのは自分だけ」という言葉は真実です。
他人の行いに腹が立つたびに「他人は変えられない。変えられるのは自分だけ」と自分に言い聞かせ、日々の棚卸しをします。
そうしたら腹を立てた本当の原因が相手にではなく自分にあったことに気づき、何だか笑えてきます。
「他者は私を傷つけることができない。自分自身を傷つけているのはいつだってこの私である」という言葉も真実です。

③「私にはできない。しかし神には何でも出来るからである」と一日を通して祈り続ける

この記事を読むだけなら「ふ〜ん。なるほどね」というものばかりかも知れません。
しかしいざ実行しようとすると決して自分にはできないことを悟ります。
要するに無力ということです。

無力を認められない人は「いい話を聞いた。いつか時間がある時に実行しよう」と考えます。
ちなみにありのパパは18年間先延ばしにしました。
しかしそれではヒビの入った不快感情ダムに不快感情が溜まりに溜まり、ダムが決壊してしまいます。

多くの人が「自分はなぜ使いたくもない嗜癖を使うのだろうか?」と心のどこかで不思議に思っています。
不思議も何も不快感情ダムが決壊して、不快感情が流れ出したら嗜癖を使わざるを得ないのは当然のことなのです。

ダムが決壊して全てのものを押し流していく映像を私たちは何回も見たことがあるのではないでしょうか?
それと同じことが私たちの心の中で起きているのです。

[まとめ]
自己への執着とは自分の古い生き方への執着であり、古い生き方を続けると自分の中に不快感情を溜めることになり、やがては嗜癖を使わざるを得なくなります。
解決策は新しい生き方を実践することです。

不快感情ダムを空っぽにしつづけることがシラフの一日を積み重ねていく唯一つの秘訣であるようです。

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◎回復と平安と祝福を祈っています。

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