うまく行く人生のコツは捨てて基本を守ってトライ&エラーを繰り返すの三つ

霊的目覚め

この記事は人生は捨てるものによって変わること、神の力が流れ込むためにはステップの1〜3を続ける必要のあること、そしてトライ&エラーを通じてしか神の意志に到達できないのを解説しています。

1.人生は新しいもので変わるのではなく、捨てるものによって変わる

「手に入れるものによって変わるのではなく、手放すものによって変われるのだ」(回復の「ステップ」87頁)

全く変えられた人生を実現しようとするなら、古い行動パターンを使わない決心が必須です。
「手放す」という言葉が意味するものは[古い行動パターンを使わないこと]にほかなりません。

生き方が変われば人生は必ず変わります。
そのためには【捨てる決心】が単なる願望にとどまらないで行為にまでなる必要があります。

多くの人が【新しい行動パターン】を使えば人生が変わると思っています。
もちろんその通りですが、しかし全く変えられた人生が実現するためには新しい行動パターンだけを使う必要があります。
古い行動パターンと新しい行動パターンを混ぜて使うと新しい行動パターンの効果は著しく減少します。

新しい行動パターンだけを使うためには、まず「私は古い行動パターンを使わない」との決心が必要です。
それなしには新しい行動パターンだけを使う人生は実現しません。

ありのパパ自身のことを申し上げると、本音のところで「新しい行動パターンだけを使えばよい。だから古い行動パターンを使わない決心をわざわざする必要はない」と考えていました。
それを思うとき「道理で人生がなかなか変わらないわけだ!(笑)」ということと、人間は手放すことに抵抗するものであり、価値のないものであっても執着する存在なのだということを感じざるを得ません。

①古い行動パターンを捨てる方法

人間は頭で動く存在ではなく、情感で動く存在です。
どういうことかというと平面的な理解ではなく、立体的な理解でなければダメということです。
これが人が文字よりも映像に強く惹かれる理由です。

この原理を新しい行動パターンの実践に当てはめると次のようになります。
12ステップを勉強して「あぁそうか。12ステップはこうなっているのか」と考えるのは平面的・二次元的理解です。

それに対して自分のこれまでの人生を走馬灯(そうまとう)のように振り返り、古い行動パターンを使った場面を鮮やかに思い出し、「これじゃ、人生がうまく行くわけない」と腑に落ちるのが立体的・三次元的理解です。

(脇道)
ビル・Wはさらに四次元の世界があると言っています。
四次元の世界とは新しい行動パターンを使って生きていく人生の営みを指しています。

②実戦可能な新しい行動パターンの見つけ方

「あなたの新しい行動パターンは何ですか?」と聞かれて即座にお答えになることが出来るでしょうか?
もし即座に答えることが出来ないなら、日常生活において新しい行動パターンを実践するのは不可能です。

なぜなら古い行動パターンは人格の【考え方】と【感じ方】から出てくるものであり、苦労しなくても自然に出てくるものであるのに対して、新しい行動パターンは人格の【行動の仕方】から出てくるものだからです。
子供時代には行動の仕方の積み重ねによって考え方と感じ方ができあがってくるのに対して、大人になると今度は考え方と感じ方から行動の仕方が導き出されます。

「この場面でどのように対処すれば新しい行動パターンを使ったことになるかな?」などと悠長に構えているうちに考え方と感じ方から古い行動パターンが出て来てしまいます。

だからどんな場面でも即座に新しい行動パターンを使う準備が出来ていなければなりません。
そのためには新しい行動パターンを一文で言い表せることが大切です。
例えばありのパパの新しい行動パターンは「すべての人に敬意をもって接することに全力を尽くす」です。
人と接する前に、この一文を自分に言い聞かせています。
そうすると人間関係のトラブルが激減し、結果として人生が全く変わってしまいました。

2.神の力が流れ込むためにステップの1〜3を続ける

「すべての人の心の一番深いところに神がいる」(ビッグブック)

神の力が自分の心と人生に流れ込むようにするのが、12ステッププログラムの最終目標であるとも言うことができます。
この項目ではそのために踏むべきステップを解説しています。

①人生がどうにもならないと認め、神だけが私を回復させてくれると信じる(ステップ1・2)

無力を認めなくても新しい行動パターンの実践は可能ですし、実際にそうしている人もいます。
しかし無力を認めないままで新しい行動パターンを実践するとすぐに内心の変化が起きます。
それは「なんだ!私は無力ではなかった!」です。
しかし本当は無力なので、現実と自己認識の間に齟齬(そご)が生じ、それはただちに実践の破綻に繋がります。

ここでステップ1に戻って「やっぱり私は無力だった」と自分の無力を認めるのが通常です。

要するに無力を認めなくても新しい行動パターンの実践は可能だが、実践し続けることは不可能ということです。

これとは逆に無力を認めることにこだわる方もおられます。
そのような方に申し上げたいことは「一回やってみて、それから無力を認めても遅くはないです」ということです。

人間が本当に無力を認めることは不可能であると、ありのパパは思っています。
人間にできることは中途半端であっても無力を認め、その状態で新しい行動パターンを実践し続け、うまくいかなくなるそのたびごとに神のもとに戻ってきて、自分の無力を認めることだけです。

②自己意志のみで生きることの放棄(ステップ3)

ただ決心するだけでは何の意味もありません。
ただ決心するだけの人は「ステップ3まではやったんだけどね」と言います(笑)。

ステップ3はステップ11とつながっています。
ステップ11は「神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求めた」ですが、神の意志を知ってそれを実践しようとする前に、自己意志のみで生きることの放棄がなければなりません。

自己意志のみで生きる気まんまんなのに「神の意志を求めます」と祈っても、それは茶番劇であり、自作自演の一人芝居に過ぎません。
そのお芝居に神が登場してくださることは決してありません。

③神との障害になっている不快感情を取り除くために行動のプログラムに取り組む

ステップ3の決心の後の最初の行動はステップ4から9の[行動のプログラム]に取り組むことです。
もしそうしないなら、決心したということはできず、単に決心した振りをしているだけということになります。

性格上の欠点を使う
本能が傷つく
感情が暴走する
不快感情から逃れるため嗜癖を使う

上記に記したものが依存症の構造となります。
この構造を理解し、さらに自分ごととして合点がいくようにするのが行動のプログラムの目的です。

棚卸しの目的は自分の側に落ち度があったことを気づき、行動を修正することです。
ただそれだけによってのみ、嗜癖を使わない人生が実現します。

神の力が私たちの心と人生に流れ込んで来ない原因は不快感情だけではありません。
不快感情は性格上の欠点を使ったことの結果に過ぎません。

[性格上の欠点を使う⇒本能が傷つく⇒感情が暴走する⇒嗜癖を使う]の一連の流れこそが、神の力が私たちの心と人生に流れ込むのを妨げている原因です。

(脇道)
ちなみに聖書はこの一連の流れ(性格上の欠点を使うことによって嗜癖を使わざるを得ない生き方)を指して【罪】と呼んでいます。
ある人々は嗜癖行為だけを取り上げて罪であるとしたり、恨みなどの不快感情を罪としますが、これは明らかに間違った聖書理解です。
正しい聖書理解はこの一連の生き方を指して聖書は罪と言っているのであり、そのような生き方をする人を罪人と言っているのです。
この視点に立つとありのパパは罪人の頭(かしら)ということになります。
そして目指しているのは『回復した罪人の頭』です。

3.トライ&エラーを通して神の意志に達する

「神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求めた」(ステップ10の後半部分)

ありのパパを含めて多くの人は神の意志を知って、それを実践する力を求めますが、神の意志をなかなか実行できません。

その際に大切なことは自分で神の意志だと思っていることがただの勘違いではないかと考えてみることです。
間違った思い込みは神の意志を受け取ることをできなくさせます。

間違った思い込みを打破するのに最も効果のある方法は自分自身の必要を目をかっぽじってよく見つめることです。
例えば自助グループのミーティング出席です。

ある人は「ミーティング参加は生命線。断固死守する」のが神の意志であるとします。
しかし家族は「パパ、ママ、私と一緒にいてくれないかな」と思っているかもしれません。
その方にとって家族との時間を犠牲にして遠くのミーティング会場に出かけることは果たして神の意志でしょうか?
自分の必要を目をかっぽじってよく見つめるとはこういうことです。

またある人は「○○が忙しいから、12ステップの棚卸しに取り組めなくても仕方ない」というのが神の意志であると受け取ります。
しかしその間にも嗜癖まみれ・短所まみれ・不快感情まみれ・本能傷つき放題の目も当てられない人生が続くとしたら果たしてそれは神の意志と言えるでしょうか?
ここでも自分の必要を本心に立ち返って見つめる必要があります。

そして自分自身の必要が見えるようになると他者の必要も徐々に見えてくるようになります。
ある方は「妻や子供にこんなに良くしているのに感謝一つしない」と言われます。
しかしその「良くしてやっている」は奥様やお子さんの必要が見えている上での行動でしょうか?

感謝が返ってこないときはその人の必要(ニーズ)を満たしていない場合が多いのです。
去年やってうまく行ったことが、今年もうまく行くとは限らないし、来年はなおさら知恵を絞って考える必要があるのです。

昔からよく言われてきた言葉に「手を替え、品(しな)を替え」というのがあります。
まさに私たちはうまく行くまで、神の意志に到達するまでトライ&エラーを繰り返す営みを続ける必要があります。

◎回復と平安と祝福を祈っています。

ERA(イモーションズ・リカバリー・アノニマス)Teamsミーティングのお誘い
感情問題を嗜癖として使う人々が積極的に回復(リカバリー)を目指すオンラインミーティングが始まりました。 時間は…

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