この記事は他人を変えることはできないが自分の反応は変えられることを解説しています。
そしてその変化は視点の転換によること、さらに視点の転換を果たした後に実践すべきことを解説しています。
1.まず自分の反応の仕方を変え、次に他者への対処の仕方を変える
「成長のカギとなるのは、まわりの状況や他人を変えることはできないが、その状況や他人に対する自分の反応は変えられると気付くこと」(回復の「ステップ」107頁下3行目)
①自分の反応の仕方を変える方法
「自分の反応の仕方は変えられる」と気付くことを「霊的に目覚める」と呼びます。
だから霊的目覚めの本質的部分は視点の転換です。
ここで注意が必要なのは「自分の反応の仕方を変えることができる」との理解が頭だけの理解にとどまっていては決して実践は不可能であり、実践が不可能だから人生は1mmも変わらないままということです。
一般的なカウンセリング(世俗的プログラム)では個人面談やグループセラピーなどを通して嗜癖を使う本当の理由が自分の反応の仕方(性格上の欠点からくる行動パターン)を使ったことであると理解させます。
次に新しい対処の仕方を学習させます。
これは12ステップに取り組んでいる人々ならば違和感を感じさせるでしょう。
根本的な問いは「果たしてそれは実践可能か?」ということです。
「これは大切難しいことであり、できる人は少ないだろう」というのがありのパパの結論です。
ここに一般的なカウンセリング(世俗的プログラム)の限界があります。
「どうしたらいいんでしょうか?」との質問の答えは「どうにもならない」です。
どうにもならないと認めた人だけが『自分を超えた大きな力が私を回復させてくれると信じる』ことができます。
そういう意味ではステップ1と2はセットになっており、どちらか一方だけをやるというのは不可能です。
もちろん100%完全に無力を認めることもできないとありのパパは考えています。
人間にできることはことあるごとにステップ1に戻ってきて「私にはできない。しかし神にはどんなことでもできるからである」と自身の無力を認め、自分を超えた大きな力を信じる営みを繰り返すことです。
②他者への対処の仕方を変える方法
よく言われることに「他人は変えられない。変えられるのは自分だけ」というのがあります。
これはたしかにその通りなのですが、間違って理解してしまう危険もあります。
たとえば人間関係においてはどうしても人様に自分の思ったように動いてもらわなければならないことがあります。
自分の期待したように動いていただくためには、こちらが充分に準備しておく必要があります。
水路を水が流れていくように、人の動きも水路を流れる水のようなものです。
人に動いてもらいたいなら、あらかじめこちらが水路を掘っておかなければなりません。
この水路を掘る努力をしないで、「傷ついた!」とか「ひどい!」とか言っているなら、それは利己的ということになります。
このような生き方をする人の人生はいつかは行き詰まります。
なぜなら「動いて欲しい」という自分の本音を抑圧してなかったことにし、「人は変えられないから」と言い訳をしつつ配慮を充実させることを怠(おこた)っているからです。
まとめ
「他人は変えられない」は確かにその通りだが、どうしても自分の期待したように動いてもらわなければならない状況がある。
そのときには人様に動いていただけるように充分な配慮を提供する義務が自分にはある。
これをしないで不平不満を漏らしているだけなら利己的ということになる。
(横道)
氷上の競技であるカーリングのストーンがあります。
自分も他者もみんなストーンだとありのパパは思っています。
自分自身に対して「何で決めたことができないんだ!」と不平不満を感じるときがありますが、そんなときはいつでも自分自身への配慮が欠如しているときです。
たとえば「何で私は朝早く起きれないんだ」と思っているかもしれませんが、自分自身はあなたに対して「だってあなたは夜ふかししてるもの」と言っているのです。
自分自身に対しても他者に対しても、自分が思ったように動いてもらいたいなら、どんなに多くの配慮が必要でしょうか?
この配慮することの大変さを知るとき、人が思ったように動かなくても「まっいいか!」と思えるのです。
2.視点の転換(霊的目覚め)なしに人生は変わらない
私たちがたとえ何らかの「霊的体験」をしたとしても、それに「視点の転換」が伴っていなければ人生は変わらないままです。
視点の転換こそが人生を変えるカギであると分かっても、それだけでは人生は1mmも変わらないままです。
人生が全く変わってしまうためには「視点の転換」が実際に自分のうちに行われる必要があります。
視点の転換が実際に自分のうちに行われるのは自分を超えた大きな力の関与によります。
視点の転換が自分を超えた大きな力の関与なしに行われるかについてはありのパパは懐疑的です。
多くの人が視点の転換についての考えに同意しますが、人生は相変わらず変わらないままです。
その一方で大きな霊的体験をせずに視点の転換が明確になされた人々が多くおられます。
それはその人たちの語ることを聴いていれば明らかに分かることです。
視点の転換が自分のうちに起きる経験を指して霊的目覚めと呼びます。
「視点の転換」なしにミーティングに参加しても、プログラムに取り組んだとしても残念ながら付け焼き刃に終わるでしょう。
人生の困難・苦難に遭遇した際に「もうちょっと何とかなると思ったんだがなぁ」とならないためにも回復するのに充分な人格の変化と言われる「霊的目覚め」の経験が必須です。
3.霊的目覚めの後になすべき五つ
項目の2では視点の転換を伴う霊的体験、即ち霊的目覚めがなければ人生は決して変わらないと述べましたが、霊的目覚めだけであとは何もする必要がないわけではないのをこの項目では解説しています。
霊的に目覚めた後にする必要があるのは以下の5つです。
- 新しい行動パターンだけを使う
- 新しい人間関係の構築(埋め合わせ)
- 日々の棚卸し
- 祈りと黙想
- メッセージ活動&すべてのことにこの原理を実行する
上記の五つは実行するのはたやすくはありませんが、霊的に目覚めていれば必ず実行できるものです。
もし実行できないというのであれば、自分自身の視点が本当に転換しているかどうかを今一度点検したほうがよいでしょう。
視点の転換とは今の今まで自分は被害者だと思っていたのが、実は問題当事者であったという気づきです。
たとえば「私は周囲の愛のない対応によってこんなふうになってしまった」と思っていたのが、「自分の希望を言わず(不正直)、自分から関係を切り捨て(身勝手)、それにもかかわらず私の願った通りに動いてほしい(利己的)と思った。これでは人生がうまく行くわけない!」との自己理解をもつようになることです。
霊的目覚めは建物の基礎に当たります。
基礎なしの家は危険ですが、基礎だけあって家がなければそれは虚しいものです。
基礎の上にテントを張って生活するような人生は見苦しいというかみっともないと感じます。
どうせなら私たちお互いは基礎がしっかりしていて、なおかつ住みやすい家を建てたいものです。
◎回復と平安と祝福を祈っています。

