依存症回復においてミーティングは必須。しかし交流会はほどほどに!

(2020/07/31記事更新)ミーティングの後の交流会(茶話会)でトラブルに巻き込まれる仲間がいます。
この記事はトラブルが起きる原因を明らかにし、依存症の回復におけるミーティングの役割について解説しています。

1.依存症の人が共通して持っている人格傾向

依存症になる性格傾向を持っている人々にとって近すぎる人間関係はトラブルをもたらすことがあります。
その原因は何でしょうか?

①境界線が曖昧(あいまい)

特にアダルトチルドレンは境界線が曖昧です。
それは育った家庭に原因があります。
養育者には境界線という概念が無く、ずけずけと子どもの心に土足で上がってきました。
「それがどうした。親がそうするのは当たり前」というわけです。

こういう訳で、境界線が何かということを体験したことがありませんから、相手に境界線を踏み越えられても「何か嫌だな」程度の感想しか持ちません。
これを「言語化できない」と言います。

また踏み越えるほうも自分が踏み越えているという自覚がありません。
これも原因は同じです。
「踏み越えられて嫌だった」という経験が言語化できていれば、「自分が嫌だったことは、他の人にもしない」と自然になるものです。

②共依存性がつよい

共依存症者のための自助グループが存在するぐらい、共依存の問題は深刻です。

共依存の本質は「私もあなたのために頑張るから、あなたも私の思ったようになってね」ということです。
これは共依存の対象になった人にとっては迷惑以外の何物でもありません。

この説明で既におわかりと思いますが、共依存の本質は形を変えた支配欲求です。

しかし問題は共依存の人だけではなく、共依存の人に引き出される人にもあります。
それを棚に上げて「あなたに問題がある!」と言っている人も中にはいます。

例を挙げて言えば、ありのパパが参加している共同体のひとつに共依存であることを明言なさるチェアマンがおられます。
そのチェアマンに引き出される方もおられるようです。

しかしありのパパは全然引き出されません。
引き出されるどころか、その方に感謝さえしております。
なぜなら共依存の方特有の甲斐甲斐(かいがい)しさを感じるからです。

③支配欲求が強い

養育放棄されて育った人は支配欲求が強くなりがちです。
これは気が利(き)かない親に対して無意識に「もっとちゃんとやれよ」と感じていたのが、成人してから顕在化するというわけです。
しかし親に対してそう感じるのはもっともなことですが、赤の他人に対して、そのように感じるのはマトモなことではありません。

虐待されて育った人は支配欲求をもちにくいようです。
しかし、これらの人々はどういう訳か、無意識のうちに支配する人を求めてしまう傾向があります。
支配された結果、不思議な安心感を味わうのです。
反対に自分を支配しない人だと、だんだんと不安になります。

2.依存症者が置かれている環境

仕事を持っていれば、共同体の人々と交わると言っても時間は限られます。
明日も仕事があると思えば、いつまででも話しているわけには行きません。
しかし依存症のために仕事を失い無職である場合なら、心おきなくいつまででも話していることが出来ます。

ミーティングに参加している人のすべてのご家庭の方々が理解をもっておられるわけではありません。
「あなたはいつでもどんなときでも会を優先するのね」と皮肉を言う奥様もおられますし、「パパはAAの集会に出るために会社を休むことがあっても、私たちのためには会社を休まないよね」と悲痛な叫びを上げるお子さんもいます。

もしあなたが依存症のために生きるか死ぬかの瀬戸際におられるのであれば当然回復のためにミーティング参加を最優先すべきです。
しかし、回復が軌道に乗り、さらに回復を深化させ、性格上の欠点を取り除く段階にあるなら、自分のことしか考えないという短所を取り除くことにまず第一に取り組むべきです。

家庭をほっぽりだして、自分だけ共同体に首までずっぽり浸かって良い気分になっている場合ではありません。

案外、依存症からの回復を果たした人々の人格的成長が遅々として進まないように見えるのは(自分はことは棚に上げて言わせていただくなら)このようなことが原因なのかもしれません。

ありのパパから見てご自分の回復よりも共同体の運営に対する情熱が上回っているように見える人々がおられます。
これは正しいことではありません。
自助グループと呼ばれる共同体はメンバーが自分の回復のために参加しているものです。

そしてご自分の回復よりも共同体の運営が優先されるときに起きることは上記の共依存や支配欲求が野放しに垂れ流しになることです。

3.依存症回復におけるミーティング参加の最適値

①ミーティング参加を最優先する

ミーティングに毎週出席するのを良く思わない奥様には「私は共同体によって命を救われた。そして依存症になった原因である性格的欠点を取り除くためにも継続してミーティングに参加する必要がある。良い夫になるためにミーティングに出席することを許して欲しい」と言いましょう。

こんなことを言われてダメだという奥様はおりません。
「分かったわ。もっと(私にとって)良い夫になるために毎週出席しなさい」と言ってくださるでしょう(笑)。

②ミーティング以外はほどほどに

毎週のミーティング参加は死守すべきですが、その後の交流会はどうでしょうか?
私たちは「一時間半のミーティングだけでもあれだけ恵まれとしたら、心置きなく話せる交流会はもっとすばらしいだろう」と期待に胸を膨らませます。

しかしあなたにほったらかしにされているご家族はあなたと一緒にいたいと思っていないでしょうか?

12ステップの11番目に「神の意志を知ることと、それを実行する力だけを求めた」とあります。
それは言葉を換えて言うと「どうぞ、自分のためにではなく自分以外の人のために生きることが出来るようにしてください」ということです。

③依存症になった目的は、利己的生き方から利他的生き方に転換するため

私たちは依然として自分のためだけに生きていないでしょうか?
原因論の視点から見ると、私たちが依存症になったのは利己的生き方が原因です。
しかし、神の視点から見るなら「依存症になったのは私たちが新しい人生を生きるため」です。

そのような訳で多くの先行く仲間たちが「私は依存症になったことを誇りに思います。なぜならそのことで私は新しい生き方を見つけたからです」と言われます。
聖書にも「私が苦しみに出会ったことは幸いでした。なぜなら、そのことで私は神のおきてを学ぶことができたからです」とあります。

依存症になったことにも目的があったことを知って、私たちは真に新しい生き方を身につけたいものです。

◎回復と平安と祝福を祈っています。

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