聖書

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『十字架を背負う』の本当の意味。背負ってはならない重荷もある!

『重荷を負って苦労している者はわたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます』というイエスの言葉を信じて信仰に入ったにもかかわらず、気がつくと未信者のとき以上の重荷を背負わされている場合があります。
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イエスの十二使徒の派遣にみる人の育て方、自立支援の真髄とは?

イエスが十二使徒を派遣したことを記している聖書個所を見ていきます。マタイの福音書10章5節~15節には大変興味深い、また驚くようなことが書かれてあります。①伝道旅行に行くとき、財布も着替えも持って行ってはならないありのパパはこの個所を初めて...
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なぜイエスは人々の病気を強い情熱をもって癒やされたのか?それは…

イエスの宣教活動のほとんどは人々の肉体的病気と精神的病を癒すことに費やされました。なぜイエスは癒しの働きを重視されたのかを考えます。1.非常な情熱をもって人々の病を癒やされたイエスイエスご自身は「全ての町々を巡回され、会堂で教え、福音を宣教...
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聖書の「裁いてはならない」という教えは何を意味しているのか?

イエスの教えの字面(じづら)だけを取り上げて人々に適用するとき、それは暴力にもなり得ます。そこでイエスが「裁いてはならない」と言われた教えの真意を考えます。①人を裁くのは傲慢だからそれは「傲慢な心をもって人を裁いてはならない」と教えておられ...
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キリストはどのように『石をパンに変えよ』という誘惑に勝利したか?

聖書で有名な話にイエスが悪魔の試みを受けた話があります。どのようにしたら誘惑に勝つことができるかを考えます。1.「石をパンに変えよ」という誘惑①神の言葉によって生きるとはどういうことか?「人は神の言葉によるのでなければ真に生きることはできな...
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聖書が教える悔い改めの実とは?どのように悔い改めることが御心か?

悔い改めの実とは何でしょうか?ありのパパは初め、実というのだから御霊の実を指しているのではないかと理解していました。しかし聖書の当該個所を良く読むとそうではないようです。悔い改めの実とは何かについて考えます。『もし来るべき裁きを逃れたいのな...
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イエスの母マリアの夫ヨセフはなぜ神の導きに従うことができたのか?

今日は皆さんとご一緒に、イエスの母マリアの夫ヨセフを見ていきます。妻のマリアが「聖霊による受胎(じゅたい)」という神の御業のために人生が一変したように、夫のヨセフもまた人生が激変しました。①神は人々をどんなに愛しておられたかまだ夫婦として性...
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本音と建前が一致しないバラム的生き方の結末は人生の破綻!

聖書はバラムのことを糞味噌(くそみそ)に言っています。しかし日本人にはバラムが悪く言われる理由が分かりにくいと思います。理由はバラムの行動様式が私たち日本人にとても似ているからです。バラムは異邦人の王に無理難題を言いつけられるたびに真の神の...
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聖書ヨハネの黙示録に出てくる『裸の恥』とは何を指しているのか?

「裸の恥」とは何を指しているのでしょうか?ありのパパが若い頃「裸の恥」とは裸の姿を人を見られることを指しているのかと考えていたときもあります。良く考えればそんなことはあるはずがありません。では「裸の恥」とは一体何を指しているのでしょうか?『...
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ヨハネ黙示録に登場する7つの教会とエルサレム教会への神の評価

今日は皆さんとご一緒に黙示録に出てくる七つの教会を見ます。①エルサレム教会の末路その前にエルサレム教会はどうなったのかを見てみましょう。イエスご自身から直接薫陶(くんとう)と指導を受けたエルサレム教会の人たち。世界で初めての聖霊のバプテスマ...
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【朗報!】愛することに全力を尽くしていると恐れは締め出される!

「全き愛は恐れを締め出す」とはどのような意味でしょうか?今日は皆さんとご一緒に全き愛とは何かを考えます。1.ウェスレアン・アルミニアンの神学的理解福音主義の立場に立つ神学には大きく分けて二つあります。一つはカルビン神学であり、もう片方はウェ...
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聖い生き方とは依存からの解放・自己一致・互いに愛し合うことによる

聖書には『キリストが再び来られる時、私たちはキリストのようになることを知っている。この希望を持っている者はだれでもキリストが聖くあられるように自分自身を聖くしようとする』とあります。聖い生き方とはどんな生き方かを聖書から考えます。1.聖い生...