「どんな時に祈りと黙想をすればよいですか?」というご質問をいただきました。
それでこの記事では12ステップが教える祈りと黙想について解説します。
1.人生のトラブルの真の原因は自分の無力
人間関係のトラブルの真の原因は人間関係をコントロールする能力の欠如にあります。
それで何とかして人間関係能力を向上させようとします。
ある人は人間関係がうまくいかない理由を自分以外の誰かの所為(せい)にしたりします。
問題によってはそれで解決できるものもあります。
そのような場合はそれで事なきを得ます。
しかしどれだけ努力しても如何(いかん)ともしがたい難題があります。
ちなみにキリスト教の人生観は[長い人生の間には自分の力では乗り越えることが出来ない壁がある]というものです。
そのような壁にぶち当たり、どうしようもなくなった人がまず最初にすべきことが自分の無力を認めることです。
これは自分が無力であることが、自分の抱えている問題の真の原因であるのに気づくことでもあります。
自分の問題の真の原因が自分の無力にあると分かったら、次は「自分以外の、自分を超えた大きな力が自分の問題を解決してくれる」と信じることです。
2.ステップ1は原因の明確化、ステップ2は解決策、ステップ3以降は処方箋(しょほうせん)
①自分の無力を認めたら自分の意志と生き方を自分を超えた大きな力に委ねるようになる
これを例えて言うなら、自分がガンであることを知り、このお医者さんなら自分を治すことが出来ると信じる患者さんは自ら進んで手術台の上に乗るということです。
もし手術台の上に乗らないとしたら、その人は心のどこかで「自分はガンではなく、ただの風邪かもしれない」と考えているのかもしれません。(ステップの1の無力を認めていない)
またお医者さんに対する不信感がある場合も手術台の上に乗ることを躊躇(ちゅうちょ)するでしょう。(ステップの2の自分を超えた大きな力を信じていない)
②委ねるとは手離すこと
「自分の意志と生き方」を神にお渡しします。
ある人々は神が「ありがとう。じゃ、もらうね」と言っておられるのに、プレゼントをつかんでいる自分の手をいつまで経っても離そうとしません。
もちろんこれでは本当に委ねたことにはなりません。
真に委ねるとは、神に自分の生きと生き方をお渡ししたら、握っている自分の手を離さなければなりません。
これを手離すと言います。
③手離すとは空っぽになること
人は空っぽになることを恐れます。
貯金がなくなることも怖いですし、友人を失うことも恐ろしいですが、一番怖いのは自分自身の内側が空っぽになることです。
しかし空っぽになると良いことがあります。
それは祈りと黙想を通して『神の意志とそれを実践する力』が私たちの心を満たすようになることです。
神は私たちの心を空っぽのままで放(ほ)っておかれません。
あたかも水が水路を満たすように、いのちの水の川にいのちの水が流れるように、私たちの心を満たすようになります。
「私たちはいのちの水の川の岸辺に植わった木のように、豊かな実を結び、その木の葉は人々を癒す働きをします」[黙示録22:1,2]
3.神の意志を知ることが出来ないなら自分を点検してみる
①自分の意志と生き方を手離しているか?
「委ねたつもりはあるけど、手離したつもりはない」と仰るなら、いつまで経っても神の意志があなたに示されることはないでしょう。
②自分の意志と生き方を手離した後に「あとは神様任せ」と思っていないか?
心が空っぽになったら、心を満たしていただくために祈りと黙想を通して神との意識的な触れ合い(人格的な交わり)を深める必要があります。
③祈りと黙想は時間をかけて継続的・定期的に行うべきもの
「何回かやったけどダメだった」「忙しいから、そんなに時間をとれない」と仰るかもしれません。
しかしご自分が得ようとしているものが、どんなに高価なものであるかを知れば生活の全時間をこのために投入することも厭(いと)わないでしょう。
「自分の無力を認め、自分の意志と生き方を神に委ね、祈りと黙想を通じて神の意志を知ることと実践する力だけを求める」
では、ご一緒にホップ、ステップ、ジャンプ!
◎回復と平安を祈っています。
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