この記事はACが固着した恐れを持つに至った理由を明らかにし、その上で固着した恐れから解放される方法を解説しています。
1.なぜアダルトチルドレンは【固着した恐れ】をもつのか?
ACならほとんどの方が「私は他人(ひと)が怖いです」と仰るのではないでしょうか?
多くの仲間が自助グループのミーティングで「私は人が怖い」と分かち合ってくださるのを聴きました。
ですからACにとっては【固着した恐れ】は自明の理であり、そもそも気がついたらそこにあったというものです。
①アダルトチルドレンの【固着した恐れ】は生育歴が原因
なぜ固着した恐れを持つのかを考えると、それはやはり原家族と生活する中で知らず知らずのうちに培ってきたものということが言えます。
突然怒り出す家族、家事をしない母、飲んではいけないと分かっているにもかかわらずそれでも酒を飲む父。
このような予測不可能な行動に出る家庭の中で育つと「人は突然怒りだしたり、義務を当たり前のように放棄したり、平気でウソをつく」などの自分の家族にだけ当てはめることが可能なことを社会一般に対しても有効な経験則とする誤りを犯します。
「誤りを犯す」と書きましたが、ありのパパはこれはそうならざるを得なかったと受け止めています。
ただ、AC以外の人にはこれは理解しがたいことです。
だからACではないAAメンバーのスポンサーからは「子供の時のことをいつまでいっているのか」「そんなことをいくら言っても仕方ない」などと言われてしまいます。
これはやむを得ないことではありますが、ACにも非ACにも相互に理解が深まっていくことを願っています。
なぜなら非ACのスポンサーが「ACは頼まれてもスポンサーは引き受けない」と考えるのも、ACが「ACでない人にスポンサーをやってもらってもうまく行かない」と考えるのも、的外れだからです。
理由はACであっても回復は12ステップによるのであり、生育歴の癒やしによるのではないからです。
そして何よりも生育歴の癒やしは12ステップによって回復したあとに起きることだからです。
何と言っても12ステップをよく知っているのはAAメンバーですし、AC系のスポンサーは被害者意識を強く残していることがあります(これはありのパパのことを言っています)。
だからチャンスがあり、導きを感じるなら、ACは非ACとのスポンサーシップを尻込みすべきではありません。
回復したあとに生育歴の癒やしが起きる理由は、回復すると生育歴のことなどどうでもよくなるからです。
どうでもよくなると、その記憶を思い出さなくなり、思い出さないものは徐々に忘れていくように脳はできています。
これは暗記を考えるとよく分かります。
暗記するときは夜寝る前にやり、朝起きたときにすぐさま前夜暗記したものを再確認します。
こうすると情報の定着が起きます。
記憶を忘れたいときはこれと反対のことをすればよいのです。
それは思い出す機会をなくすのが最も効果的です。
よく使われる方法に三つあります。
- 感謝日記をつける。過去の辛い記憶を思い出す代わりに現在の感謝できることを五つあげます。
- 今日一日を生きることに全力投球する。思い出すというのはある意味では暇だからです。緊急の時は誰でも無我夢中になります。それと同じように今日一日に焦点を当て、全力で生きていきます。(これは強迫的に生きることを意味していません。ここは注意が必要です)
- 恐れは性格上の欠点ですから、短期間のうちになくなることは期待できません。しかし使わないでいることは神の恵みによって可能です。多くのACが「今でも自分の中に『人が怖い』という他者への恐れがある。しかし日々の棚卸しによって、祈りと黙想を行うことによって恐れにがんじがらめにされないで生きていくことが可能になった」と仰います。
②短所としての恐れと不快感情としての恐れを区別することがACの回復にとって重要
リカバリー・ダイナミクスで使う棚卸し表には恐れが2カ所に出て来ます。
一つは不快感情としての恐れです。
不快感情は主に四つあり、恨み・罪悪感・恐れ・後悔です。
もう一つは第四列の性格上の欠点(あやまちの正確な本質)の中の恐れです。
性格上の欠点も主に四つあり、利己的・不正直・身勝手&恐れ・配慮の欠如です。
両者の違いを明確に理解しておくことがACにとっては大切です。
なぜなら不快感情の恐れは感情であり、性格上の欠点の恐れは【感じ方・考え方】の型だからです。
不快感情の恐れは性格上の欠点からくる行動パターンを使った結果、自分の本能のどれかが傷つき、それを知らせるために感情が暴走します。
これに対して性格上の欠点の恐れは何もなくても恐れます。
どういうことかというと、例えば会社の同僚や学校の友人がひそひそ話をしていると「きっと自分の悪口を言っているに違いない」と恐れることです。
ACにとっては当然すぎるぐらいの感じ方ですが、心が健康な人は「また誰かの噂話をしている」と感じる程度です。
要するにACの現実の受け止め方は度を超えているし、病的と言わなければならない傾向をもっています。
まとめると不快感情の恐れは感情であり、原因として本能の傷つきがあるが、性格上の欠点としての恐れは考え方・感じ方であり、日常性格で起きる様々な出来事に対して全自動的に恐れという色眼鏡(いろめがね)で解釈してしまう
このゆえにACは不快感情の恐れを溜めない注意とともに、性格上の欠点としての恐れを使わない注意が必要
③性格上の欠点の恐れと不快感情の恐れの見分け方
今感じている『恐れ』が性格上の欠点としての恐れなのか、それとも不快感情としての恐れなのかを見分けることはとても大切です。
理由は性格上の欠点としての恐れは生きている限りなくならないものですが、不快感情としての恐れはなくすことができるし、またなくさなければシラフを維持するのが不可能だからです。
見分け方のコツは日々の棚卸しを必ず不快感情から始めることです。
次に傷ついた本能を扱います。
最後に自分の側の誤りの正確な本質を見ていきます。
ACが陥りがちな第一の罠は初めから性格上の欠点を取り扱うことです。
これは要するに「どうせ私が悪いんでしょ!」と自分自身に言っているようなものです。
これはどうみても[自分自身の愛ある親になる]こととはかけ離れた振る舞いです。
第二の罠は本能(自分自身)を抜かすことです。
不快感情から入って本能をスルーして性格上の欠点に行ってしまいます。
理由はやはり[自分自身の愛ある親になる]ことが身に付いていないからです。
本能というと「ふ~ん」てな感じですが、本能の別名は[自分自身]です。
その自分自身を抜かしてどうしますか!(笑)
このようにして正しい方法で日々の棚卸しを積み重ねていくと、段々と「これは不快感情だ」とか「これは性格上の欠点としての恐れだ」と見抜くことができるようになります。
2.人格は考え方と感じ方と行動の仕方の三つによってなるもの
人格は考え方と感じ方と行動の仕方の三つによってなるものです。(ACのための12のステップ44頁下3行目)
ACにとって【人格】をどのように理解するかは自身の回復にとり極めて重要です。
理由は12ステップは人格を改変するプログラムですが、人格の構造を正確に理解しておかないと人格を変化させることができないからです。
例えばACは機能不全家族で育った生育歴から来るものを癒やそうとしがちです。
しかし生育歴の癒やしは霊的目覚めを得て回復の道を歩み始めて何年もしてから起きるものです。
それを生育歴の癒やしを第一にしてしまうといつまで経っても実現しないばかりか「12ステップはACの回復に効果がない」など性急かつ間違った結論を出してしまいがちです。
このような誤りに陥らないためにも人格の構造を理解し、どこから変えていけば全体としての人格の変容を期待できるのを知っておくことが大切です。
①考え方と感じ方は変えられないが行動の仕方は即座に変えられる
赤ん坊として生まれてくるとき人格はまっさらです。
その後で家族関係との関わりの中で人格が形成されます。
具体的には「泣く」という行動をすると養育者が駆け寄ってきてくれ「おしめかな、ミルクかな、それともそのほかのことかな?」と面倒を見てくれます。
この「泣く」という【行動の仕方】を何回も繰り返すうちに、「泣くと養育者を自分の思い通りに動かすことができる」という【考え方】が形成されます。
また養育者が駆け寄ってきてくれることにより「自分は大切にされている」「自分は見捨てられていない。だから安心だ」という【感じ方】ができてきます。
このように子供時代の【行動の仕方】が起点となり、おもに家族関係の有り様から【感じ方】と【考え方】が生まれます。
大人になると今度は【考え方と感じ方】から【行動の仕方】が出てくるようになります。
健康的な人格の場合はそれで何の問題もないのですが、病的な傾向を持つ人格が形成された場合には人間関係のトラブルが連続的に起きるようになります。
人格を造りかえるための唯一の方法は全く新しい【行動の仕方】を全面的に採用することだけです。
そうすると子供時代にはうまく行かなかった[健康的な人格の形成]が順調に行われるようになります。
ただし、この【人格の改変】がどのくらい掛かるのかは不明です。
ある人は「現在の人格ができるのに掛かった時間と同じ時間が改変された人格の形成には必要である」と言いました。
ありのパパはこの意見には懐疑的です。
まず第一にどの地点を人格ができあがった地点とするか不明ですし、もし長期間にわたってのステップの実践の後に「私の人格は変わった!」と喜んだ後にさほど代わり映えしない自分自身の人格を目の当たりにしてしまった場合に大きな落ち込みがあるからです。
ACを含め依存症者には落ち込みや気落ちは禁物であり、回復に悪影響をもたらします。
そうであるなら初めから人格の造り替えに時間の目安を設定しない方がいいのではないかと思うのです。
②霊的に目覚めると【行動の仕方】が【考え方と感じ方】から切り離される
【考え方と感じ方】が新しく作り直されるためにはどうしても【行動の仕方】が【考え方と感じ方】から切り離される必要があります。
そうでないと依然として【考え方と感じ方】から指令が出て来て全自動的に【行動の仕方】が決まってしまうからです。
【考え方と感じ方】から【行動の仕方】を切り離す方法が霊的に目覚めることです。
霊的目覚めは宗教的な「白い閃光体験」が本質ではなく、視点の転換が本質的な部分です。
視点の転換とは「今までは自分は被害者だと思っていたが、実はそうではなく問題当事者にほかならなかった」という自己理解です。
ありのパパはこのことが腑に落ちたとき「これで人生にトラブルが起きないわけがない。起きないほうがおかしい。しかしこれからは新しい行動パターンを使い続けることで人生は必ず変わる。変わらないほうがおかしい」と心から思ったことでした。
③新しい行動パターン(行動の仕方)を実践する秘訣
聖書に「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は全きものとなっていません」(ヨハネの手紙第一3章16節)とあります。
現実生活の中で恐れをもったままで人間関係に対処するとトラブルが発生しやすくなります。
理由は恐れを隠せていると思っているのは自分だけであり、相手には恐れをもっているのがお見通しだからです。
ただし、相手には恐れとは映らずに「こいつは私を嫌っている」と映ります。
嫌われている人にいい顔をする人は一人もいません。
むしろ相手にとって怒りを表すのは極めて当然という面もあるのです。
そういうわけでトラブルのない人間関係を持ちたいなら自分の中に恐れを持たないことが大切な条件になります。
だから「恐れを持ちつつも、勇気をもって一歩を踏み出す」という考えは人間関係には適用できないのです。
そんなことをしたら秒で撃沈です(笑)。
新しい行動パターンを実践するに当たって大事なことは以下の通りです。
- 自分の力では実践できないと無力を認める
- しかし神には何でもできると信じる
- 神とご一緒に取り組む
- どっちつかずのあやふやな態度ではなく、心を決めて実践する
3.固着した恐れから解放される道
生育歴からくる【恐れ】の唯一つの解決方法は新しい生き方に全力を尽くすことです。
脳は思い出さないものは徐々に忘却するようにできています。
ACがいつまでも忘れないのはミーティングごとに恨み・ツラミを語るので忘れようがないからです。
こうしてみると利他的生き方こそが真の自己愛であると言えそうです。
この項目は固着した恐れから解放されるための具体的方法を記しています。
①霊的目覚めによって引き起こされる視点の転換が重要
視点が転換するという体験、即ち霊的目覚めの経験を得ることによって新しい行動パターンの実践が初めて可能になります。
というのは「これは自分自身のためにやっている」という目的意識が新しい行動パターンの実践にはどうしても必要だからです。
自分は被害者ではなく、実は問題当事者だったとの視点の転換がもたらすものは「利己的に生きると結局自分が損する(本能が傷つく)」との理解です。
そして同時に「利他的に生きると結局自分が得する(本能が傷つかず感情が暴走せず不快感情が溜まらないから病的人間関係という嗜癖を使わずにすむ)」との理解を持ちます。
この理解がない限り、新しい行動パターンの実践は不可能です。
「やろうとは思っているんですがね」という感想が出てくる原因は視点の転換が十分になされていないところにあります。
もちろん人間は弱い存在であり、全的な視点の転換は不可能です。
不快感情が溜まるたびに感情が暴走した理由を知るために日々の棚卸しをします。
そうすると「なぁ~んだ。やっぱり今度も自分に問題があったのか!」と心の重荷から解放され、肩が軽くなる経験を何度もします。
そうやって少しずつ、視点の転換が確かなものになり、利己的生き方から利他的生き方への転換がなされていきます。
②日々の棚卸しの継続によって視点が転換された領域が無限に拡大する
「視点が転換された領域の拡大」を認知領域の拡大とも呼びます。
人間関係におけるトラブルのほとんどが「これをしたら相手を怒らせる」との自覚がないままにごく普通にやってしまい、相手が激怒するという場合が多いようです。
相手が怒っているときにこちら側が「そのように受け取られるとは思わなかった」とか「こちらの本意とは異なる受け取り方をされてしまい残念」などとは言わないほうが良いのです。
なぜならこのような弁解をすると相手には責任転嫁か、「自分は悪くない」という言い訳にしか聞こえないからです。
この類いのトラブルは生きている限りはなくなるものではありませんが、出来るならこのようなトラブルを減らしたいものです。
効果的なトラブル回避の方法は自分の中の恐れを締め出すことです。
そうしたら相当きついことを言っても相手は怒りません。
自分でも不思議に思うほどです。
人間関係のトラブルが発生する前には大抵はこちらの側に不快感情が溜まっているものです。
だから不快感情が溜まっただけの段階で速やかに日々の棚卸しをします。
そうしたら相手が悪い、相手に問題があるとばかり思っていたのに実際はこちらの側が性格上の欠点からくる行動パターンを使ったのが真の原因だったと気づきます。
このような営み全体を指して「認知領域の拡大」と言います。
③埋め合わせがもたらす人間関係の再構築こそ継続的に恐れから解放される道
ありのパパもそうですが、ACは他者がいるところでは新しい行動パターンを使いますが、一人きりの時は「自分が誰かに傷つけられ、それに対して果敢に戦いを挑む」みたいな妄想ストーリーが頭の中を駆け巡っていたりします。
この「誰か」は内心気に入らないと思っている人であることが多いようです。
このようなことが起きる原因は埋め合わせの不徹底にあると思われます。
埋め合わせの本質的部分は【新しい人間関係の再構築】ですが、埋め合わせしてなかったり、たとえしていても表面的な「ごめんね~」みたいな感じで終わっている場合に、もう処置済みのはずの人間が依然として古い人間関係を背負った状態で脳内に登場するわけです。
【固着した恐れ】と言っても、その恐れが活躍する場を提供しているのは他ならぬ自分だったりします。
この活躍する場が人間関係ですから、すべての人間関係を再構築していれば恐れが出てくる隙がありません。
このように見てくると【固着した恐れ】がなくなるか、なくならないかは本質的な問題ではなく、肝心な点は恐れが登場する場面をなくしてしまうことだと合点(がてん)がいきます。
◎回復と平安と祝福を祈っています。


