皆さんは「あれは病的な承認欲求だった」と思うことはありませんか?
この記事はACの問題行動の2番目にある「承認を病的に求めることを嗜癖として使う」問題の統合作業について解説しています。
1.問題の出所
病的な承認欲求を嗜癖として使うようになった根本原因は自分が何者か分からないところにあります。
なぜなら自分が何者か分かっている人は誰かに教えてもらう必要がありませんから。
ですから病的な承認欲求の解決策は自分が自分自身の愛ある親になることです。
解決策については項目の2で詳しく述べます。
①病的承認欲求の原因と対処作を分けて考える
ACの問題行動には2つの側面があります。
一つは嗜癖を使うに至った原因である生育歴の問題であり、もう一つはアルコール依存症者がアルコールを嗜癖として使うようにACは病的な承認欲求を嗜癖として使っているという問題です。
多くのACは「生育歴を突き詰めれば癒やされるに違いない」と誤解しています。
そしてACの自助グループでも生育歴を語ることで癒やされると明言しないまでも匂わせているところがあります。
しかしこれは重大な問題を含んでいます。
ACの回復運動には多くの専門家やカウンセラーが関わってきました。
その人たちの仕事は当然のことながらカウンセリングすることだったり、治療を施すことなわけです。
この人たちは自分の口からは「ACの回復はカウンセリングでは不可能」とは決して言えないわけです。
アルコール依存の専門病棟なら「ここを出たら必ずAAに行くように!」と言われるでしょう。
なぜならAAには実績があり、AAにおける回復率と専門病棟における回復率の違いは明らかだからです。
しかしACの回復運動においては当事者ではなく、専門家が主導的な役割を果たしました。
専門家の中にはACの自助グループ設立に大きな役割を果たした方々がおられた一方で、自助グループによらない回復を標榜する人々も多くいました。
自助グループによらない回復とはつまるところ世俗的(一般的)なカウンセリングによる回復ということです。
自助グループから12ステップを取り除いた単なるグループセラピーとしてのミーティングならばカウンセリングによる回復を主張する人々も「参加してもいいんじゃない」と言うでしょう。
そして現にカウンセラーから言われて単なるグループセラピーとしての役割しか求めずにミーティングに参加される人々も少なからずおられます。
もちろん単なるグループセラピーなら気休めに過ぎませんから、しばらくすると姿を見せなくなります。
生育歴ならば変えようがありません。なぜならそれは自分と家族という関係性のものだからです。
だからこそ生育歴を問題にする人は家族を変えようとしますが、これは病的な共依存に過ぎません。
12ステップが教える回復は違います。
12ステップは病的な人間関係を嗜癖として使う根本的な理由は不快感情から逃れるためであり、感情が暴走するのは本能が傷ついたからであるとします。
そして本能が傷ついた原因は他の誰でもないこの私が性格上の欠点からくる行動パターンを使ったからであると教えます。
これは受け入れるのが相当困難な教えです。
それで12ステップ・プログラムは無力を認めるところからスタートして順番に階段を登るように最終的な結論に達するよう手助けします。
ありのパパはこの結論に達するのが分かっていたら、12ステップに決して取り組まなかったかもしれないと思うほどです。
教えてくださった方は「とにかくやれば回復するんだ!」と言っているように感じましたが、後から考えるとこれが良かったと思います。
②目標が嗜癖になることもある
目標を立てることもある人にとっては自分が何者か分からないので目標を建て、それを実現することによって自己確認の手段としている面があります。
しかし実現したときには期待したようには自己確認が出来ないので燃え尽き症候群に陥りやすくなります。
ACが注意しなければならないのは病的な承認を求めるようになった原因である生育歴を理解したとしても問題は決して解決しないということです。
理由は大人になった今も使っている原因は強迫観念と渇望現象だからです。
依存症には二つの問題しかありません。
それは強迫観念と渇望現象です。
そういう意味でACも依存症の一つであり、だからこそ依存症からの回復プログラムである12ステップに取り組むことによってACも回復可能なのです。
(閑話休題)
ACは「親に愛されずに育った」とよく言います。
しかしその親だって自分の親に愛されずに育ったのかもしれないのです。
親も犠牲者だったのかもしれないのに自分だけが犠牲者のように思い込み、被害者意識を嗜癖として使うのは止めましょう。
③病的な承認欲求が私たちの人生に与える悪影響
愛には責任が伴います。
しかし病的な承認欲求を嗜癖として使っていると、愛し続けることは不可能であり、責任を果たし続けることもできません。
なぜなら承認を求めることが生きる動機になっていると、どうしても自分がメーンで、相手がサブになってしまうからです。
しかし愛するとは相手の必要に敏感になり、相手のニーズを満たすことへの責任を果たし続けることです。
愛したいときだけ愛し、責任を負いたいときだけ負うのは愛とは言わないし、それは利己的振る舞いであると言わなければなりません。
(まとめ)
病的な承認欲求とは誰彼構わず「私の親になって!」と懇願することだが、人生のどこかでその不毛さに気づき、「私が自分自身の親になる!」と決心し、生涯を通して実践しよう。
2.解決策
①自分が自分自身に承認を与える。これが最も大切
自分と他者を分離する作業の前に、自分の中にいるもう一人の自分、即ち自分自身がいると気づき、自分には自分自身に対して愛ある親としての責任があると 理解する必要があります。
そうしたら他者に承認を求めることはなくなります。
無力を認めるとは「神に霊的に目覚めさせてもらう以外に解決策はない」と認めることでもあります。
承認欲求の対処の仕方は「あなたはそのままでいい」と承認を与えてあげることです。
自分自身の愛ある親になることが、真の自己一致です。
これには責任が伴います。
なぜなら24時間自分自身に寄り添う必要があるし「面倒くさい」と言うことができないからです。
②戦わないこと。それだけが勝つ道
無力を認めるとは「自分は無力なのだからジタバタせずに神の力が天からやってくるのを待つ」ことです。
「こんな手を使ってみようかな。あんな手はどうかな?」と考えたり動いたりするのは無力を認めているとは言いません。
しかしながら人間は弱い存在であり、分かっていてもどうにもならず、自力でなんとかしようとしてしまう者でもあります。
対処策は自力で頑張っていることに気づくそのたびごとに神のもとに戻ってきて「神様、ごめんなさい。私は無力でした。どうぞ神の意志を実践する力を与えてください。私はあなたを待ち望みます」と祈り、告白することです。
そうしたら必ず祈るそのたびごとに神の力が与えられるのをあなたは経験するでしょう。
自己意志の力だけでは愛ある親になれません。
どうしても神の意志との協働で、神の力をいただかなければ実践できません。
3.親替えとは何か?
親替えをしないと自分が何者か分からないままです。
親替えをして初めて「自分は愛されている存在」だと分かります。
親替えができていないと、親の代理者を誰彼かまわず求めてしまい、それが病的な承認欲求という形で現れます。
これの解決策は神の意志と協働で自分が自分自身の愛ある親になることです。
そうしたら他者に親の役目を求めることはなくなります。
愛ある親とは自分自身(四つの本能)が傷つく性格上の欠点からくる行動パターンを使わないように務めることにほかなりません。
愛ある親とラブシャワーの違い
愛ある親としての役目を果たすことと、ラブシャワーを注ぐのは全く違うことです。
愛ある親になるとは自分自身(本能)が傷つかないように24時間見張り人の使命を果たすことです。
ラブシャワーはそんなことはお構いなしに虚しい美辞麗句を並べて褒め上げることです。
そういう意味ではアファメーションもラブシャワーになる危険があります。(ちなみにラブシャワーを洗脳手法として使うカルト団体があるので注意が必要です)
◎回復と平安と祝福を祈っています。


