「人が怒っていたり個人的な批判・陰口・噂話を聞くと、怯えることを嗜癖として使う」問題の統合作業

罪悪感

人が怒っていると無条件反射的に自分が怯えてしまうという経験をしたACは多いのではないでしょうか?
この記事はACが怯えることを嗜癖として使うことからの回復について解説しています。

1.ACは「怯えることを嗜癖として使っている」のに気づく

ACが怯えることを嗜癖として使うに至る過程には二段階あります。
一段階目は子供時代に理不尽に怒りをぶつけられる経験を何度もしたので、人が怒っているだけで自分に怒りがぶつけられるのではないかと恐れたことです。
二段階目は大人になった今は怯えることを嗜癖として使っていることです。

①「嗜癖として使ってなどいない」という否認から「嗜癖として使っている」という気づきへ

多くのACは「私は怯えることを嗜癖として使ってなどいない」と思っていますが、これが間違いであることは心が健康な人が同様の状況にある時に何をしているかを見ればすぐ分かります。

心が健康な人は「このような状況でどのように対応すればよいか?」とか「あの人はなぜこのような怒り方をしているのだろうか?」などを考えます。

ACはそれをしないでただただ怯(おび)えています。
そのような状態を指して「嗜癖として使っている」と表現しているのです。

これはアルコール依存症者や薬物依存症者も同じです。
酒を飲んでいる場合じゃないときに、薬物を使っている場合じゃないときに、嗜癖に逃げ込んでいるのです。

多くのACは「自分は物質を嗜癖として使う依存症者とは違う」と思っていますが、実は何も変わりません。
ただ使っている嗜癖が異なるだけです。

②自動的に怯えてしまうのは脳内の依存症回路が原因

自分に関係ないと思われることであっても他者が怒っていると怯えてしまうのは脳内妄想劇場とでも呼ぶべきものが自動的にスタートしているからです。

もっと正確に言うと、脳の報酬系に依存症回路ができ、そこから強迫観念と渇望現象が襲ってくるからです。
強迫観念とは「怯えたらいけない」と思っているにもかかわらず、「怯えているほうが楽だよ」という嘘を教える働きであり、渇望現象とはいったん怯えてしまうとずっと怯え続けてしまう働きを指します。

私たちはこれにストップをかけることができません。
できるのはスタートさせないことだけです。
それを可能にするのが本質的な解決策である霊的目覚めです。
霊的目覚めとは回復するのに十分な人格の変化を指します。
これによって新しい行動パターンを実践できるようになります。

③怯えることを嗜癖として使う思考回路とは?

人が自分の思ったように動かないと自分が傷つけられるという思考回路が働きます。
しかしステップ4・5の棚卸しをした結果、心から納得したことは「人は誰も私を傷つけることができない。傷つけていたのはいつだって他でもないこの私だった」ということです。
だから怯える必要はもうないのです。

もちろんこの事実を理解したとしても、怯えることを嗜癖として使っていますから使わないでいることはできません。
新しい行動パターンを使っているときだけ嗜癖を使わないでいることができます。

人は悪口・陰口・噂話をするものです。もしあなたがそのように考えていないとしたら、「あなたの標準は高すぎる!」と言わなければなりません。
そしてそう考えることによって損害をこうむるのは他の誰でもないあなた自身なのです。

実は人が怖いから怯えているのではありません。
人が自分の決めたとおりに動かないという現実を否認しているので、その現実に直面して怯えているのに過ぎません。

問題の核心は自分自身の病的な支配欲求にあります。
この病的な支配欲求は自分を安心させるために知らず知らずのうちに自分の中に作った装置ではありますが、どうしても現実に直面せざるを得ない私達にとっては結局のところ恨み・恐れの原因になってしまうのです。

本質的な恐れとは、相手が自分の思い通りの人ではないという事実に直面させられることです。
これは逆から言うと、「あなたは私の思い通りの人であるべきだし、その通りに振る舞え!」と言っているようなものです。
このような考えを利己的考えと言います。

実はこのような自分の価値観王国が脅かされたので恐れたり恨んだりしたのに過ぎなかったのでした。
この場合の恐れと恨みは同根です。

「人はこうあるべき」という理想の世界はどこにも存在しません。
しかしもちろんある程度の理想・建前は世の中に必要です。
それがなければ社会は崩壊してしまうでしょう。

問題は限度を超えて自分の価値観を他者に押し付けることです。
最も明確なリトマス試験紙は他者が自分の思ったとおりに動かなかいという現実に直面した時に「仕方ない」と思えずに、腹を立てたり、人知(ひとし)れず恨んだり、恐れたりするなら、あなたは十分に利己的であると言えるでしょう。

人々の現実の姿はどうしようもなく利己的なのです。
だからこそ、それを認めない限り、自分自身の安全本能が傷つきます。
(しかしながら病的と言わなければならないほどに利己的な人が組織やグループの中にいることを認めてしまうと、その組織やグループの存続は危ういものとなります)

嗜癖を使うに至る本当の原因は私たちが利己的だからです。
他者は自分の思った通りに動くべきという間違った思い込みがあると、自分の思ったように動かない人々に直面すると、ある人は怒りを感じ、ある人は怯えます。
これは現れは180度違っていても根本原因は同じです。

怯えている時はいつだって利己的振る舞いを使っている時です。
逆から言うと利他的振る舞いに生きている時は怯えなくてすむということでもあります。

(この項目のまとめ)

「ひょっとして自分はこれを嗜癖として使っているのでは?」との問いを自分のうちに持つようになると、それは必ず「嗜癖として使わない」という決心に導かれます。
そうしてはじめて「どんなに決心しても努力しても『嗜癖として使う』ことに対して自分は無力である」との告白に到達することが可能となります。
多くのACがこの気づきに導かれますように!

2. 本質的な解決策

本質的な解決策は霊的に目覚めることです。
ACの統合作業とは、自分にとって最も重篤(じゅうとく)な嗜癖、すなわち13の病的な人間関係のうちの一つからの回復を求め、霊的目覚めの経験をした後に、他の問題行動が13個もあったのに気づいて、改めてその問題に取り組むものです。

霊的目覚めとは何かといえば、「回復するのに十分な人格の変化」です。
では回復するのに十分な変化とは何かといえば、それは視点の転換であると言えます。
視点の転換とは、それまでは自分は被害者だと思っていたのが、実は問題当事者だったという気づきです。

これを統合作業に当てはめると「私が怯えるのは周囲の人に問題があるからだ」と思っていたのが、「私が怯えるのは嗜癖として使っていたからだ」との問題当事者としての自覚を持つことです。

ACは少なくとも13個の問題行動を持っていますから、その一つ一つについて視点の転換を果たしていく必要があります。

ACはカウンセリングを受けたり、ミーティングに参加することによって「怯える」ことをどうにかしようとします。
しかし多くの場合に、どうにもなりません。
理由は怯えることを嗜癖として使う依存症者なので「どうにもならない」のです。
12ステップは「どうにもならない」と認めることからスタートするプログラムです。

新しい行動パターンを使っている限りは決して本能は傷つかず、感情は暴走しませんから、嗜癖を使うこともありません。
だから本質的な解決策は霊的目覚めによって視点の転換を果たし、新しい行動パターンを全面的に使うことだけです。

怯えることを嗜癖として使うことの解決策は二つだけです。
本質的な解決策は霊的目覚めによって新しい行動パターンを使うこと。
もう一つの解決策は共同体(自助グループ)に参加することによって得られる助け(なぐさめ)と支え(はげまし)です。

本質的な解決策によって嗜癖を使う理由がなくなっても脳に依存症回路があるので依然として強迫観念が襲ってきます。
そのときに助けとなるのが神の力ですが、その力は共同体を通して与えられます。

(この項目のまとめ)

解決策は二つある。一つは共同体からの助けと支え。もう一つは霊的目覚めであり、これが本質的な解決策。

3.霊的に目覚めた後はどうすればよいか?

「人はこうあるべき」という妄想の世界に生きていると、その基準で生きてない人に遭遇すると恐れを感じるか怒りを感じるかのどちらかです。

対処方法は「私が自分自身のために生きていて他者のために生きているわけではないように、他の人たちだって皆その人自身のために生きているのであり、私のために生きているわけではない」という事実をしっかりと自分に言い聞かせることです。
現実を自分に合わせようとせず、現実をありのままに受け入れます。

自分の生存が脅かされているから怯えるのです。
ということは自分の生存を他者の有り様(ありよう)に委ねているのと同じことです。
自分の生存を他者に委ねてはなりません。

なぜ恐れるのかと言えば自分の作った建前の世界が崩れるからにほかなりません。
だったら初めからありのままの世界を認め受け入れるほうがなんぼか良いのです。

病的な支配欲求の本質は「あなたはここまでできたら合格」というものです。
しかしながら自分が敬意をもって接することに全力を尽くしている時は相手が何点かなんて全然関係がありません。

だから次のことが言えます。「相手をありのままに受け入れる」ことと「敬意をもって接することに全力を尽くす」ことはセットになっている。
どちらかだけは決して実践できないということです。

ありのままに受け入れると言っても、それは存在に対してです。
相手の【行為】をそのまんま受け入れてしまうのは相手の奴隷になることです。
これを共依存と言います。

しかし相手の【存在】をありのままに受け入れるときには、相手の行為が受け入れられないときは受け入れないという自由を持つことができます。

他者に敬意をもって接することに全力を尽くすことです。
そうしたらそのときだけ他者に対する恐れを感じないことに気づくようになります。

(相手が自分を愛していないかもしれないと恐れるときの対処法)

「愛されていない」という事実に直面するのを恐れることへの効果的な方法は「自分もまたそんなには愛していない」という自分自身の事実を確認すことです。
そうしたら恐れが消えるどころか笑えてさえ来るようになります。
そのとき、あなたは自分自身が新しい生き方の世界へと踏み出したのを知るようになります。

○回復と平安と祝福を祈っています。

ARA(アダルトチルドレン・リカバリー・アノニマス)Teamsミーティングのお誘い
アダルトチルドレンと共依存症者が積極的に回復(リカバリー)を目指すオンラインミーティングが始まりました。 時間…

新しい記事を見逃したくない方はメール登録をどうぞ!

フォローボタンを押すと届くメールの【フォローを確認】をタップして登録完了です。

タイトルとURLをコピーしました