アダルトチルドレンの「孤立を嗜癖として使う」問題の原因と解決策!

性依存症の解決策

「私たちは人が怖いので、孤立することを嗜癖として使う」

この記事はACの問題の1番目の「孤立することを嗜癖として使う」統合作業についてのものです。
統合作業を行うに当たっての注意点、ACの恐れの原因、解決策について解説しています。

1.統合作業を行うに当たっての注意点

①孤立することを嗜癖として使っているのに気づくのが先決

アルコール依存症者がアルコールを嗜癖として使うように、ACは孤立することを嗜癖として使います。
だから孤立したくないのに気がつくと孤立しているのです。

アルコール依存症者が「飲んではならない」と堅く決心していても強迫観念が教える嘘にコロッと騙されてしまうように、ACは「孤立してはならない」と思っているにもかかわらず強迫観念が教える嘘にコロッと騙されます。
だからACにとって孤立することは依存症における嗜癖行為そのものということができます。
そういうわけでACは「私は孤立することを嗜癖として使っていた!」と気づくことが回復のためのステップ0となります。

なぜステップ0かと言えば気づかない限りはステップ1の無力を認めることが決してできないからです。
気づきのない状態で「無力を認めました」というのは厳しい言い方をすれば偽善であり、一人芝居に過ぎません。

熱心に12ステップに取り組むACに「何のために12ステップに取りんでいますか?」と質問すると、「はい、生育歴からくる心の癒やしのためです」とお答えになる場合があります。

しかし残念なことに12ステップは依存症からの回復プログラムであり、それ以外には効果がありません。
ですからいくら熱心に12ステップに取り組んでも生育歴からくる問題が癒やされることはありません。(そもそも生育歴は癒やされるものではなく、気にならなくなるものであり、あなたの宝物になるべきものです)

②孤独と孤立を区別する

「孤立することを嗜癖として使う」ことからの回復を目指す上で気をつけなければいけないことは、これは決して孤独がいけないと言っているわけではないということです。
もちろん「私は孤独が辛いし、嫌だ」と言う人もいるでしょう。
しかし自立している人、人間として成熟している人は孤独であることを楽しんでいるものです。
人間として未熟な人は他の人と繋がりたいと欲します。
典型的なのは文字通りの子供です。
子供は親と繋がりたいし、学校で友達と繋がりたいと欲します。
しかしそのような子供も大人になるとそうでもなくなります。

孤独であることを嫌がる人は異常なまでに人と繋がりたいと欲します。
そしてこれが原因となって結局孤立してしまうという悪循環に陥ります。

このように孤独と孤立は別物であるのを明確に理解しておく必要があります。
そうでないと「孤立することを嗜癖として使う」ことからの回復のための統合作業がはかばかしい結果を生むことができなくなります。

③期待することを止めない。でも失望したときに恨むのは止めよう!

「人に期待して裏切られたので期待することを止めた結果、結局孤立した」と思うACも多いのではないでしょうか?
しかし問題の核心は期待したことにあるのではなく、相手が自分の期待に反したときに、あなたが相手を恨んだことにあります。

親が子供に期待しなくてどうすると、ありのパパは思いますが、子供が自分の期待に届かなかったときに子供に失望するのは間違った反応です。

子供は生まれてきてくれただけでありがたいのであり、赤ん坊のときの笑顔を見せてくれただけで子育ての報酬は充分いただいているのです。
それを子供が自分の期待に届かなかったと失望したり落胆したりするのは「身の程知らず」であり「度が過ぎた期待」と言わねばなりません。

(閑話休題)
一般的なカウンセリング(世俗的プログラム)では、人を恐れること、人に対して利己的考えをもつことを問題行動の原因とし、その結果として孤立したとします。
これは間違った理解ではありませんが、12ステッププログラムはその原因と結果の間に本能の傷つきと感情の暴走があるとします。

感情と本能を考慮の対象から除外すると、いつまで経っても自分の問題が他人事のように感じられ、自分と自分自身との親しい関係、即ち自己一致の状態になりません。

しかし12ステップはまず暴走した感情から入ります。
その次に傷ついた本能を取り扱います。
そして最後に自分の側の問題の正確な本質、すなわちどんな性格上の欠点くる行動パターンを使ったかを見ます。

このような順序を踏むことの利点は自分自身に対する共感が育まれることです。
「そうかぁ〜。かわいそうだったね」と思う心には自分自身を裁く余地はありません。

もう一つ気づくべきことは孤立している本人は苦しいつもりになっていますが、実は孤立することを嗜癖として使う生き方は楽ちんな生き方だということです。

これには様々な反論があろうかと思いますが、アルコール依存症者を考えてみるとよく分かることです。
「飲んで苦しい人生」とは依存症本人の偽らざる心境ですが、客観的に見ると実はなすべきこと、即ち面倒な人間関係から逃げた結果として起きる本能の傷つきと感情の暴走(不快感情)から逃れるためにアルコールに走ります。
これと全く同じ構図でACは嗜癖として孤立を使っているのに過ぎません。

孤立しない生き方は面倒くさいことがたくさんあります。
なぜなら「そんなの放っとけよ!」と思うことであっても、一つ一つ丁寧に対処しなければなりませんから。

しかしそのように一生懸命に生きている間は本能が傷つかず、感情は暴走しませんから嗜癖を使う理由がなくなります。
だからこのような生き方は面倒くさい生き方ではあっても、これによって得するのは結局のところ自分自身であるということができます。

(まとめ)

  • 人生のどこかで「私は孤立する生き方を嗜癖として使う依存症者である」との自覚を持つ必要がある
  • 恐れは嗜癖ではなく、性格上の欠点。(恐れを嗜癖として使うのはいわゆる不安障害や対人恐怖)
  • 嗜癖を使った結果として周囲から孤立するのと、孤立自体を嗜癖として使うのは別のこと。EAやSAの書籍に出てくる孤立は前者であり、ACの書籍に出てくる孤立は後者

2.ACが性格上の欠点としての恐れをもつ理由

人を恐れる本当の原因は自分の中に権威を感じないからです。
ACは赤ん坊であってもすべての人に権威を感じるが、自分の中には権威を感じることができません。
だから他者を恐れるのです。

多くのACはすべての人に恐れを感じます。
もしそうでないのであれば権威のない人を怖がることはないはずですが、現実はすべての人が怖いのです。
(権威のある人だけが怖いACもいます)

上記で述べた「恐れ」は感情としての恐れではなく、考え方・感じ方としての恐れです。
これを「固着した恐れ」と呼び、性格上の欠点としての恐れでもあります。

性格上の欠点としての恐れの原因は機能不全家族で子供時代を過ごした生育歴にあります。
ただし問題の核心はACが「私の恐れの原因は生育歴か。じゃ仕方ないな」と考えるところにあります。

他の依存症者が自分の恐れがどこから来たかを問題にするのを聴いたことがありません。
(もちろん問題に感じる人はACのミーティングにやってきますが、ご自分の回復が軌道に乗るとしばらくすると姿を見せなくなります)

同様にACも自分がもつ「恐れ」がどこから来たかを問題にしているうちは回復がはかばかしくありません。
理由は自分以外の誰かから恐れを植え付けられたと考えていることは「自分の人生を犠牲者の視点の生きている」ことであり、また同時に「被害者意識を嗜癖として使っている」のにほかならないからです。(ACの問題行動の5番目)

現在進行形で嗜癖を使っている人が回復するなどありえないことです。

自分の中に権威を認められない理由と解決法

自分の中に権威を認めることができない理由も生育歴の中にあります。
子供は養育者にありのままを受け入れられることによって「私はこのままでいいんだ」という思いをもって子供時代を過ごします。

残念ながらこれができなかった人は大人になってから様々な人間関係のトラブルを抱えがちです。
人は誰でもありのままを受け入れられたいと願っていますが、自分が自分自身のありのままを受け入れることができない人は他者のありのままを受け入れることができません。
そもそも「ありのままって何?それおいしいの?」状態ですから人間関係がうまく行くはずもありません。

解決策は共存本能の自尊心を傷つけない生き方を続けることです。
自尊心を一般的な意味でのセルフイメージと捉えてはなりません。
依存症者が「私はセルフイメージが低いんです」と仰るのを聞くことがあります。
ありのパパは心の中で「依存症になって自分にも人にも迷惑を掛けたのだからセルフイメージが低いのは当たり前!」と思っています。

セルフイメージを上げようとするのではなく、自尊心を傷つけない生き方をします。
自尊心が傷つく理由は私たちが性格上の欠点である不正直や身勝手な行動をしたことによります。
そうすると自分の中にいるもう一人の自分である自分自身という存在が「お前は本当に臆病なやつだな」というのです。
このジャッジは事実にもとづいており、公正なものです。

一般的なカウンセリングではこの真の原因を取り除かずに結果でしかない自尊心をなんとかしようとします。
12ステップに取り組むACであっても、真の原因を取り除かずにアファメーションを唱えて自尊心を修復しようとする場合があります。

すでに皆さんお分かりのように、真の原因を取り除かずに対症療法でアファメーションを何万回唱えようとも人生は1mmも変わらないままです。

真の解決策は新しい行動パターンを全面的に使うことです。
ありのパパの新しい行動パターンは「すべての人に敬意をもって接することに全力を尽くす」ですが、これを数年やったところで、前述の「自分の中にいるもう一人の人」が「お前は偉いよ。本当によくやっているよ!」と言ってくれるのを聞きました。(正確には「言ってくれたように感じた」ですが、主観的には声は聞こえませんでしたが、メッセージを受け取ったという感じでした)

これと同時に人の中にも権威を感じるし、自分の中にも権威を感じるということが起きてきました。

(結論)
自分の中にも他者の中にも権威を認めることができれば、対等公平な人間関係を築くことができます。

3.解決策

この問題の本質的な解決策は霊的に目覚めることです。
霊的目覚めとは回復するのに充分な人格の変化であり、それは具体的には被害者意識から当事者意識への視点の転換であり、新しい行動パターンを使って生きる新しい生き方を指し示しています。

①視点の転換の意味するもの

視点の転換とは「私が自分自身のために生きていて他者のために生きているわけではないように、他の人たちも皆その人自身のために生きているのであり私のために生きているわけではない」との理解が腹落ちすることです。

ありのパパの場合、霊的目覚め以前にも頭では理解していましたが、文字通り頭だけの理解にとどまっており、実践は全くできない状態でした。

頭の理解にとどまっているのは真に理解できたとは言いません。
真に理解できると必ず行動がそれに続きます。

12ステッププログラムが単に視点の転換と言わずに、霊的目覚めとか霊的体験と呼ぶのにはそれなりの理由があるようです。
それは霊的な力との接触なしに視点の転換は実現しないと思われるからです。

もちろん「どんな霊的体験か?」などは全然問題ではありません。
大切なことはそれによって心と人生に風穴が開くということです。
この小さな風穴はやがて針の穴ほどの大きさになります。
(針の穴とは外敵の侵入を防ぐために兵士がラクダに乗ったままでは通れない高さに設定された城壁の門を指しています)

霊的に目覚めると性格上の欠点という名前のラクダから降りて、新しい行動パターンという自分の足で歩む生き方が可能になります。

②自分の期待した通りに他者が動くのを当然と思わない

人が怖いと感じる理由の一つが「予測不能の動きをするのではないか?」と感じるからです。
だからこの問題の対処策は「他者に期待するのをある程度止めてみる」です。

期待していない人がどんな動きをしてもへっちゃらという訳です。

敬意をもって接することと、「このように振る舞うべき」との自分の価値観を相手に押し付けるのは決して両立しません。

自分の期待通りに動いてもらうためには充分な配慮を提供する必要があります。
それをしないで怒りを感じるのは利己的極まりないことです。

人が自分の思った通りに動いてくださるのは特別なことであり祝福でもあります。
そしてこれは決して当たり前のことではないし、そうしてくれなかったからといって腹を立てるようなことでもないのです。
なぜなら私が期待したように動く義務は相手にはないからです。

しかし期待すること自体を止めてしまってはなりません。
それはある意味では無責任になります。
親が子供に期待するのを止めたら子供は健全に成長することができなくなります。
どこの誰が期待もされていないのに頑張ってやり遂げようと思うでしょうか?
そういう訳で、期待するところまでは健全の範疇であり、むしろ期待することを止めてしまってはならないということができます。

しかし「このように動いて当然」と考えるのは不健全です。
なぜなら私たちがそう考えているときは相手に対する配慮が何もなされていないからです。
このように言うと決まって「いいえ、私は配慮しました!」と言う方がおられます。

しかし本当に配慮する人はこのようには言わず、「私の配慮が不足していました。もっと配慮を充実させます」と言われるものです。
なぜなら配慮の充実というものは「ここまでやったから充分」というラインがないからです。
いくらでも、もっともっと配慮を充実させることが可能です。

この問題を具体的な例で考えてみます。
たとえば共同体の仲間に対して回復することを期待するのは間違っていません。
しかし回復しないことに不満を感じたり、怒りを感じるのは全く理不尽なことです。

「こう動くべき」との基準から外れた人に敬意をもって接することはできません。
だから「こう動くべき」という物差(ものさ)しを自分にも他者にも当てるのをやめるのが必須のこととなります。
要するに「私も自由に生きるから、あなたも自由に生きていいよ!」ということです。

ありのパパ自身のことを言えば以前は人々が自分の思ったように動かないと自分自身の安全が脅かされたように感じました。
しかし今ではそのようには感じなくなりました。

考えられる理由は二つあります。
一つは「こうあるべき」という他者への要求の水準が下がったこと。
もう一つは「そんなに自分が思ったように動くわけないだろ」と思えるようになったからです。

③恐れはなくならないが、心の中から締め出すことは可能

人への恐れは嗜癖ではなく、性格上の欠点に当たります。
だからこそ性格上の欠点からくる行動パターンを使わなくなったら病的な人間関係を嗜癖として使わなくなったのです。

相手がどんな人かは関係ありません。
人間関係の処し方はたった一つしかありません。
ACを含めた依存症者にとってはこれが強みになります。
なぜなら考えずにたった一つの行動パターンを使えるからです。
依存症者は「どのように行動しようかな?」と考えているうちに古い行動パターンが出てきてしまいます。
だから「依存症者に選択の自由はない」のです。

恐れは多分生きている間はなくならないだろうと、ありのパパは考えています。
だからこそ私はすべての人に敬意をもって接することに全力を尽くします。
なぜならそのときだけ自分の中から恐れを締め出すことができるのを知っているからです。

同様に利己的考えも生きている間はなくなることはないと考えています。
だからこそ私はすべての人に配慮をもって接することに全力を尽くします。
なぜならそのときだけ利己的考えを締め出すことができるのを知っているからです。

④これから何をすればよいか?

ACにとって13の問題行動は根っこで繋がっています。
だから他の問題の統合作業にも取り組む必要があります。

恐れからくる身勝手・不正直行動の問題が影を潜めてくると、今度は利己的考え・振る舞いにサーチライトが当たってきます。
もし何年経っても相変わらず恐れからくる問題ばかりを取り扱っているようなら、依然として「犠牲者の視点で自分の人生を生き、被害者意識を嗜癖として使っている」(ACの問題の5番目)のかもしれません。

過去は変えられません。変えられるのは現在だけです。
そして変えられた現在を積み重ねていくことによって未来を変えることができます。

◎回復と平安と祝福を祈っています。

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