行き過ぎた責任感と過剰な世話焼きを嗜癖として使う問題の解決策

子供のしつけ

アダルトチルドレンには行き過ぎた責任感と過剰な世話焼きを行う人が多いです。
しかしこれらを続けるなら人生に大きな困難をもたらします。
この記事はそこからの回復方法を解説しています。

1.どのような動機で嗜癖を使っているかが問題の核心

責任感が強いのも、世話焼きが行き届いているのも悪いことではなく、かえって有益なことです。
しかし問題は動機です。
自分の問題を見ないために、それらを使っているのであれば有害な影響を自分と周りの人々に与えます。

同様にコントロール欲求が悪いのではありません。
そうではなく人が自分の思ったとおりに動かないことを怖く感じ、そうならないためにコントロールを過剰に使うのであれば病的なコントロールになるということです。

ありのパパはかつて世話焼きをしたにもかかわらず相手が感謝せずとも腹が立ちませんでした。
理由は自分の問題を見ないために世話焼きを使っているのであり、元は十分とっていると心のどこかで知っていたからだと思います。
だから「腹が立たなかったから私は健全だ」などと思わないほうが良いのです。

他者の感情や行動に自分は責任があるという間違った思い込み

行き過ぎた責任感を使っているということは、とりもなおさず相手の感情や行動には自分に責任があると考えていることの証拠です。

しかし「相手の行動や感情に対して自分には責任がない」というのが真実です。
これが腹落ちするまでは私たちは他人の顔色や言動に振り回され続けます。
「他人の感情や行動に私は責任がない」という事実を自分に言い聞かせるだけでホッとすることができます。

2.病的な世話焼きと健全な世話焼きの違い

依存症者は「いつか見捨てられるのではないか」との恐れを見ないために(自分の問題を見ないために)、過剰な世話焼きを嗜癖として使います。

これに対して依存症からの回復の道を歩む者は、恐れを自分のうちから締め出すために新しい行動パターンとして健全な世話焼きを全力で行います。

この両者は動機的には全く異なるものですが、まわりから見ると違いが分からないかもしれません。
同じような世話焼き婆さん・世話焼き爺さんと映っているかもしれません(笑)。

問題の核心は嗜癖として使っているかどうかです。
一見同じように見える世話焼きであっても、それが新しい行動パターンから出てくるものと、不快感情から逃れるため、自分の問題を見ないために無自覚に世話焼きを嗜癖として使っているなら、これは全くの別物です。
そのような意味で【動機が問題】なのです。

嗜癖として使う世話焼きの場合は相手に振り回されますが、新しい行動パターンから出てくる世話焼きの場合は主体的であり、決して相手に振り回されたり依存することはありません。

嗜癖としての過剰な世話焼きをどのように繰り返したとしても相手との人格的関係は決して深まることはありません。
これに対して、新しい行動パターンから出てくる限度をわきまえた世話焼きを続けていると人々との間に人格的関係が築かれていきます。

3.依存症を持つお子さんの親御さんへ

問題行動を持つお子さんの親御さんに申し上げたいことがあります。
それはあなたの世話焼きは嗜癖として出ているものか、それとも新しい行動パターンから出ているのかということです。

「親の会」などでは「私たちにできることは何もないから子供から手を離しなさい」と指導されることがあります。
しかしながらこの指導は的外れと言わねばなりません。
なぜなら親がすべきことは山ほどあるからです。

問題の核心は「山ほどある」世話焼きを嗜癖として使っているなら、子供さんはよくならないということです。
しかし新しい行動パターンとして世話焼きを使っているなら、あなたはあなたご自身の責任を果たしていると言えます。

両者を見定めるリトマス試験紙があります。
それは嗜癖として世話焼きを使っているときは、子供がいつまでもよくならないと心の中で「死んでくれないか」と、ふと思ってしまい、良くなったら良くなったで「再び悪くなったら承知しないからな」と思ってしまうのです。

新しい行動パターンから世話焼きが出ているときは「ときが良くても悪くてもしっかりやりなさい」(聖書)と自分自身に言い聞かせつつ忍耐を働かせます。
そして子供が良くなれば「この忍耐は失望に終わることがない。忍耐は希望を生み出し、希望は信仰を生み出す」(聖書)と信仰に堅く立ちます。

行き過ぎた責任感も過剰な世話焼きもそれ自体は悪いものではありません。
問題の核心はそれが出てくる私たちの側の動機です。

「子供が幼かった時に充分に世話してやれなかった」という思いを持つ親御さんは過剰な世話焼きを自らの罪滅ぼしとして行います。
人間関係の極意は「手を出したり、引っ込めたりする」ことです。
要するに相手の心を見ながら、手助けすべきときは迅速に行い、相手の力量に委ねるべきときは見てみぬふりをします。

自分の罪滅ぼしのためにやっているとこれができません。
いつも手を出します。
その結果、子供さんの自立性を損ない、内的成長を妨げます。

同様に「自分は親として完全であらねばならい」と思っていると、自分が完全であるために[闇雲に、脊髄反射的に、反応すること] (ACの問題の13番目)を嗜癖として使いますから相手は迷惑にしか感じません。

では健全な責任感と効果的な世話焼きとは一体どのようなものでしょうか?
皆さんすでにもうおわかりのように、相手の事情と内面的な問題を見据えて、相手に委ねるべきときは委ね、自分が出ていくべきときは大胆に前に出ていくことです。

私たちは多くの場合にこれと正反対の対応をしていないでしょうか?
普段は「おせっかいにも程がある」というくらいに口出し・手出しをするくせに、いざというときに限って怯(おび)えてしまい、効果的な手助け・助言ができないまま終わってしまう。
それで罪悪感を持ち、ますます罪滅ぼしとして過剰な世話焼きに精を出すという悪循環を延々と繰り返します。

このカラクリに人生のどこかで気づき、健全な責任感と適度な世話焼きを行う健康的な人間関係へと転換したいものです。

◎回復と平安と祝福を祈っています。

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