気づきとは何でしょうか?
「あっ、お腹がすいているのを気づいた!」というのは、ここで言おうとしている気づきではありません(笑)。
気づきとは様々な使われ方をする言葉ですが、最も重要な点は神から恵みと癒しを受け取るために必須のものであるということです。
ある人は立派な信仰をもっているかもしれませんが、気づきが乏しいというか、気づきがありません。
気づきがない信仰は地上ではあまり役に立たないどこか、かえって有害です。
それで今日はアダルトチルドレンがどうやって気づきを得ることができるかを考えます。
1.両親によって虐待されているとき、神がおられたのなら、なぜ助けてくれなかったのか?
ありのパパが罵詈雑言を浴びせ掛けられたときがありました。
その時、イエス様のお気持ちが少し分かったような気がしました。
それはその方に「気づいてほしい」とイエスが思われ、その故にありのパパを助けることをしなかったということです。
ありのパパはその時まで、心のどこかに「こんな目にあって損だな」という思いがあったのです。
しかしイエスの御心を知ってからは、損だと思わなくなりました。
それはイエスは十字架に掛かってくださり、ご自分の責任を全うされたうえで、その方の気づきを待たれたからです。
また「なぜ自分がこんなひどい言葉を浴びせ掛けられなければならないのか?」と自分のことしか考えていないありのパパが、人の気持ちに思いが行くことをイエスは願われたゆえに黙っておられたのでした。
2.苦しみを乗り越える秘訣はイエスの十字架を想うこと
浴びせ掛けられた罵詈雑言が、時々思い出され、その度に実際(肉体的)に胸が締めつけられます。
これをこのまま放っておくと、心臓病になるかもしれないと思いました。
そのようなとき、イエスのもとに行きます。
サマリアの女の信仰が開眼するのを忍耐深く導かれたイエスは、今も私たちの霊的な目が開くのを待っておられます。
イエスが忍耐しておられるのなら、私も忍耐することができる。
もちろんそんな力はどこにもありませんが、神の力によって忍耐することができます。
そしてイエスのお気持ちを考えていると、自分が受けた傷が気にならなくなるのです。
しかしイエスの御心を考えることを止めると、自分の傷が疼(うず)き始めます。
だ・か・ら、またイエスのもとに行きます(笑)。
3.虐待を受けていた時に、神に助けられなかった真の理由
両親から虐待を受けていたとき、イエスはそこにおられましたが、両親が気づきを持つのを待っておられました。
「なぜその時助けてくれなかったのか」と言われるあなたが今は人を傷つけているのではないでしょうか?
今もあなたが人を傷つけているそのところにイエスは共におられて、あなたが気づきを持つのを待っておられるのです。
両親から受けた心の傷以上の傷を、あなたはもう十分に人に与えています。
もうそれで十分ではありませんか。
いくら人を傷つけても、自分の心の傷が癒えることはありません。
ただイエスのもとに行くことによってのみ、癒しを受け取ることが出来ます。
イエスのもとに行くには、下記の祈りをすることによって、行くことが出来ます。
イエスは今もあなたを待っておられます。祝福を祈っています。
◎祈り:
愛するイエス様、私は自分の力では自分自身をコントロールできないことを認めます。
神様なら、こんな自分をお救いになることが出来ると信じます。
自分の意志と生き方を、神様の御心にささげ、従います。アーメン。
